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略歴
平成6年 夜久野町役場
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平成18年 都市整備課
平成28年 水道課
平成31年 用地課
現在は用地課国府事業係で働いています。国道9号や由良川の整備は国土交通省が、9号以外の国道や河川や土石流を止めるための砂防ダムは京都府土木事務所が整備をされ、地元の人や市役所内部との調整を行っています。また、予算を国や府からしっかり確保してもらうため、要望書を作り、国や府などの機関に要請する担当もしています。
仕事柄、一人ではできない仕事なので、いろんな人との関わりが必要です。人との付き合いが好きではなかったらきついかな…と思いますが、市役所にはいろんな職場があるから黙々とパソコンを打つ仕事ができることも大事だと思いますし、適材適所だと思います。
公務員の仕事は“どうしたら市民の役に立てるかどうかを考えながらできるか”です。用地課は道路が整備されたなど結果が分かりやすくやりがいを実感しやすい職場です。部署によって、業務の一部だったりするとなかなか成果は感じにくいですが、最終的にはどこかで市民の役に立っているはずだから、それぞれの仕事をしっかり行えば、市民のためにもよい仕事ができると思います。
周りの人に勧められたり、そう考えたりした時期もありましたが、今の仕事の良さが分かってきて転職しようとまでは思いませんでした。工事の関係者や用地の関係で地権者とつながったり、近所の人と話をしたりといった形でいろんな人に出会える仕事であるというのもその良さの一つだと感じています。直接市民とのやり取りができて、市民の困っていることも、嬉しいことも分かるのは市民に一番近い市役所だからこその良さかなぁ。組織が小さければ小さいほどかかわりは無限大に広がるものです。道路をよくするという一つの目標があって、その達成のためにいろんな人と出会い、協力し、道路が完成するという成果が目に見えて現れたときに達成感が味わえるのも大きな喜びです。最近なんかは涙が出そうになるほど身に染みて達成感を感じます。
逆に、若い頃は上司とうまくいかないとかいう単純な理由で仕事を辞めたいと思ったこともありましたが、色々と声をかけてくれたりアドバイスをくれたりした先輩がいるから、その先輩のためには今でも力になりたいと思って続けられています。
別に都会に住みたかったわけではないので、出ていこうとは思いませんでした。夜久野町役場で勤めていた時代には、近所の人に「浩司くん、頼むで!」と言われたものです。
福知山での生活に不便を感じないし、都会でないとできないことをしたいとも思わなかったからかな。そりゃあ住んでたら便利だろうけどね。でも福知山は、買い物はできるし、飲みに行けるところもあるし、ゴルフもできるし。自分がやりたいことに関しては足りないものはないかなぁ。
高校まで野球を頑張って続けていました。それこそ坊主頭で大会前に「剃ってこい!」と言われる世界でした。休みはお盆に1日、正月に2、3日、あとは試験休みくらいで、当時は野球ばっかりやっていました。あとから思うと、野球の技術よりも、人生で大事なことを教えてもらった気がします。挨拶・ことばづかいも自然と身につきました。
毎日練習の時、“いつも自然に・いつも明るく・いつも全力で”という言葉をいつも掛け声にしていて、当時は何も思っていなかったけど、今から思うといい言葉だったなぁと思います。実践はなかなか難しいけど、そういう形で仕事なり自分の趣味や地域の行事も出来たらいいと思います。
野球部時代のことを思えば、少々忙しくても頑張れるところがあるし、働いてからも“なんのために働いているか”を教えてくれる先輩と出会えたから今も頑張れているところがあります。そういうきっかけや出会いは誰にでもあるから、大事にしてください。
左から用地課の小田、衣川、インターンシップ生の下村、柴垣、阿部、用地課の荒賀課長補佐、宮本、吉田
インタビュアー:下村百合
令和元年8月29日取材
インタビューを通して、たくさんの素敵なお話を聞かせていただきましたが、学生時代に打ち込んでいた野球部での経験から、多少忙しくても頑張れるということや、毎日発していた掛け声に力をもらっているというお話は特に印象的なものでした。今の私たちの生活の中にもすでにヒントがあるかもしれないと感じ、今やっていることをしっかり頑張って、一生の財産にしていきたいと思います。衣川さんのお話をお聞きし、“誰かのために働く”というのが自分の働くモチベーションになるのかなぁと感じました。人とのつながりを大事に思う衣川さんだからこそ、市役所という場所で、色々な形で市民のために働くことができるのだと感じました。私たちは、衣川さんの部下になりたいと思いました。