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大原の産屋の里景観内の指定等文化財
大原の産屋の里 京都府選定文化的景観
- 文化的景観の名称 福知山市大原のうぶやの里景観
- 文化的景観の種類 信仰、年中行事に係わる景観地 歴史的事跡に係わる景観地
- 文化的景観の所在地及び面積 福知山市三和町大原地内(別添図)約5.7ha
「大原の産屋の里」は、福知山市三和町大原地区の中心部にあたり、かつては綾部藩などから都へ向う街道筋で旅館や商店も立ち並び、賑やかな宿場町として栄えたとされる。街道北側には京都府指定文化財である大原神社本殿をはじめとする建造物群があり、安産の聖地として古くから信仰を集め、文化財環境保全地区にも指定されている厳かな境内、鎮守の森の佇まいと相まって今でも参拝者が多く訪れている。
また、神社の眼下には京都の自然二百選にも選定された川合川の清流が東西に流れ、川と街道に沿って約二十軒の屋並が伝えられる。周辺には大原神社鎮座のいわれを伝えている「お釜さん」、産育資料、民俗資料としても学術的に極めて貴重な天地根元造りの「産屋」、樹齢七百年を越えると想定される「大杉」など、歴史的、民俗的な景観の要素を多く含んでいる。特に地元大原地区では、大原神社と街道筋の屋並み、そして四季折々の美しい風景を含めて「うぶやの里」と呼び、区域南側の秋葉山展望台から展望できる景色を、誰でもが満喫できる環境の提供に尽力されている。
大原の産屋の里 選定範囲
大原の産屋の里全景
文化的景観の特性
自然的特性
- 大原神社とその後背地である鎮守の森、大原神社と産屋の間を流れる自然豊かな川合川や隣接する田園は、集落と一体となって美しい景観を形成しており、それらを展望する秋葉山展望台からの景観は、「うぶやの里」の特徴ある自然景観を提供している。
- 鮭の遡上があったと伝えられる川合川には、夏はホタルが飛び交い、カジカの鳴く風光明媚な景観を醸し出している。
歴史・文化的特性
- 大原神社は仁寿二年(852)の創建と言われており、三丹地方では最も豪壮なつくりである。社名の冠に「天一位」とつくのは、京の都より天一位の方角、所謂乾の方角を示しており、都の乾を守る神として創建されたのではないかと考えられている。
- 大原神社に参拝することを「大原志(オバラザシ)」と言い、俳句の季語としても使われていた。元禄時代の浄瑠璃、近松門左衛門の「源三位頼政」の段にも大原志の件があり、江戸時代初期にも名が馳せていたことが伺える。社務日記には愛媛宇和島藩主世子の安産祈願を始め公家や藩主の参拝や代参が送られた記録も残されている。
- 現在の本殿は寛政八年(1796)に当時の綾部藩主九鬼氏の庇護により再建されたものであり、当時の宮大工の精巧な技術がここかしこと垣間見ることができる。本殿をはじめとする、弊殿、拝殿、摂社火の神神社、摂社水門神社、絵馬殿は昭和五十九年京都府指定有形文化財に指定され、後背地の山々も含めて、大原神社文化財環境保存地区に指定されている。
- 大原の産屋は全国でも唯一の天地根元造りで、神話の世界を思い起こすような佇まいである。昭和二十三年まで実際に利用され、夫と共に過ごす産屋でのひと時、妊婦の安らぎの場であり、魂のよみがえりを見る場であったかのようである。
- 集落の各家から川合川へ通じる通路が現在においても維持されており、陣痛が始まると、川合川に仮橋を掛けて夫とともに産屋に移り、出産を迎えた往時の様子を偲ばせている。産屋は昭和六十年京都府指定有形民俗文化財に指定されている。
- 大原神社を中心として地域が一体となって取り組んでいる主な祭りや行事として、「春季例大祭」「鎮火祭」「節分追儺式」「御田植祭」「大原練り込み行列」「うぶやの里フェスタinみわ」を実施している。
- 大原神社の出張所が、京都祇園祭の綾傘鉾の会所である大原神社であることが知られており、江戸時代には大原神社の御札が京都の大原神社で販売され、その売り上げが上納されていた。一旦、江戸時代中期から疎遠となっていたが、平成十三年度にいろいろな方の助力により二百五十年ぶりに両社の交流が再開した。
周辺環境との関係
大原神社をはじめ、「うぶやの里」を展望する秋葉山展望台に至る散策路には、紅葉や紫陽花が大原うぶやの里活性化 推進協議会により植栽され、展望台への散策に彩りを添えている。
大原神社と川合川(お釜)
大原の産屋