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大原神社本殿 ほか

ページID:0001226 更新日:2020年11月16日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

 

5 大原神社  本殿、幣殿、拝殿 附棟札一枚、摂社火神神社本殿 附覆屋、末社水門神社本殿、絵馬殿(府指定)

 

大原神社本殿、幣殿、拝殿の画像

大原神社拝殿

 

火神神社の画像

火神神社

 

水門神社の画像

水門神社

 

絵馬殿の画像

絵馬殿

 

 福知山市三和町大原  六棟

 大原神社は、丹波志によると、仁寿二年(852)に美山町の樫原に神霊が宿り、弘安二年(1279)に大原氏が三和町大原に移したとされている。祭神伊邪那美命(いざなみみこと)、天昭大日霎命(あまてらすおおひるめのみこと)、月読命(つきよみみこと)で、古事記によると、伊邪那美命は伊邪那岐命とともに万物をつくった女神とされることから、安産と五穀豊穣の守り神として、古くから崇められてきた。特に安産祈願の習俗としての子安砂(安産守護)は有名で、近世では綾部藩を治めた九鬼氏は、奥方が身ごもった時は、必ず大原神社に参拝したと言われ遠く宇和島藩からも世子安産の代参が送られている。現在も、出産の無事と子どもが健康に育つことを願って、多くの人々が大原神社を訪れている。

 現在の大原神社の本殿は寛政八年(1796)に建立された。本殿は、梁行二間(梁の長さ十一尺(約3.6m)の切妻造で、幣殿を介して拝殿とつながる権現造式の社殿形態となっている。拝殿は入母屋造桧皮葺)で、正面中央に大唐破風の向拝が付いた豪華な彫刻が施された華麗な社殿となっている。

 大原神社本社に付属する摂社の火神神社本殿は、明暦三年(1657)に建造された。形式は一間社流造、正面軒唐破風付、柿葺。この本殿履屋は桁行正面一間(約1.8m)、背面四間(約7.2m)、梁行四間一重、切妻造、向拝一間、唐破風造、桧皮葺。昭和六十一年(1989)屋根の葺きかえが行われた。

 末社水門神社本殿も、明暦三年(1657)の建造とされ、一間社流造、柿葺。大正十三年(1924)桧山綾部線の道路開削にともない現在の位置へ移転された。

 絵馬殿は、文久三年(1863)に建立され、三十五面にのぼる絵馬が奉納されている。絵馬殿は桁間八間(14.4m)、梁間五間(約9m)で更に六間三間(約10.8m×5.4m)の舞台を付けた茅葺のもので、規模や大きさ形とも全国的にもめずらしい。絵馬殿には、かつて舞台が設けられており、江戸時代の庶民文化の華、人形文楽や狂言、芝居が行われ、庶民の娯楽や親睦の中心的な役割を果たしてきた。


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