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大内城跡墳墓出土品

おおうちじょうの画像

蔵骨器1

おおうちじょうの画像2

蔵骨器2

大内城跡墳墓出土品(府暫定、考古資料)

 

 字大内小字平城にある大内城跡は由良川支流の土師川と竹田川の合流地点から約1キロ東に位置する平安時代から中世にかけての城館および山城です。近畿自動車道敦賀線(現在の舞鶴若狭自動車道)の建設工事に伴って、昭和56年に発掘調査が行われました。発掘調査の結果、多くの掘立柱建物や中国製の陶磁器が見つかったことから平安時代後期から鎌倉時代前半にかけて、居館があったことなどが判明しました。平安時代の終わりごろ、この地域は六人部荘(むとべのしょう)という荘園であったことが『吾妻鏡(あづまかがみ)』に記されており、居館は荘園を管理する荘官の館であった可能性があります。
 この居館は13世紀初頭には廃絶しますが、この時期以降に大内城には墳墓が築かれています。発掘調査では5基の墳墓が見つかり、火葬された骨を入れる埋葬容器である蔵骨器(ぞうこつき)が埋納されていました。写真1の蔵骨器は常滑焼(とこなめやき)の壺に、須恵器の甕(かめ)もしくは壺の底部を割ったものを蓋にしています。また、写真2の蔵骨器は南北朝期もので、土師器鍋に須恵器の鉢を蓋にしたものです。
 そのほか、副葬品として焼けた鏡片が入っていた蔵骨器も見つかっています。六人部荘に関わる荘官の墓かもしれません。


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