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旧片岡家住宅
68・69・70・71・72・73 旧片岡家住宅 主屋・2階建離座敷・平屋離座敷・南土蔵・西土蔵・高塀 (国登録有形文化財)
主屋・2階建離座敷・平屋離座敷・南土蔵・西土蔵・高塀
福知山市字下柳 六棟
旧片岡家は文政4年(1821)に初代が呉服卸業を開業、3代目が明治28年(1887)に福知山銀行の設立、4代目が明治41年(1908)に京都銀行の前身にあたる治久銀行を設立するなど、福知山の政財界に大きく貢献した豪商・片岡久兵衛の店舗兼住宅である。(『片岡翁小伝』昭和13年 中島銻三郎著による)
福知山城下の由良川堤防沿いに通る京街道に面し、明治元年(1868)頃建築の主屋をはじめ、大正4年(1915)建築の二階建離座敷や南土蔵、西土蔵、昭和9年(1934)年建築の平屋離座敷、主屋北側の通り沿いに建つ大正4年の高塀の6棟が国土の歴史的景観に寄与するとして国登録有形文化財に登録されている。
主屋は2階に出格子窓と虫籠窓が開いた福知山の伝統的な町家の特徴を示す。1列3間取の町家を明治22年に増築し、現在の規模となる。主屋の南側に通りに面して建つ南土蔵は白漆喰塗の窓付壁で、腰板の目板瓦葺の水切庇などが通り景観のアクセントとなる。また、主屋北側には通りに面して漆喰塗の壁に板張りの腰、屋根は目板瓦葺の高塀が建ち、南土蔵、主屋、高塀の一連の通り景観を形成している。
二階建離座敷は式台玄関を持つ本格的な書院造で、建物だけでなく襖や板戸、建具や調度品に至るまで当時の一流作家や工芸家に依頼して贅を尽くし、福知山の政財界の人々を迎え入れるための建物として建てられたものである。二階建離座敷の奥には木造3階建ての漆喰塗の西土蔵が建つ。土蔵前には板敷きの前室を設け、地域特有の水害に備えた特性を持つなど、迎賓館ともいえる二階建離座敷と廊下でつながる位置関係からみても、催事に供された什器や調度品などを納めていたとみられる。
平屋離座敷は二階建離座敷とは対照的に数寄屋造の住まいの趣を示す2間続きの離座敷である。南側には広縁を設け、北側は庭を臨む。
旧片岡家住宅は明治・大正・昭和の福知山財界で活躍した実業家の町家から屋敷への変遷過程が明確な福知山を代表する建物であり、旧福知山城下町の重要な景観要素である。