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観音寺 木造不動明王及二童子立像
42 観音寺 木造不動明王及二童子立像 三躯(市指定)
福知山市字観音寺
中央:不動明王立像(ふどうみょうおうりゅうどう)
カヤ材(またはヒノキ材)、一木造、彫眼、彩色 像高45.5cm 平安時代(九世期)
右側:矜羯羅童子立像(こんがらどうじりゅうぞう)
ヒノキ材、一木造、彩色、切金、玉眼 像高23.5cm 鎌倉時代(十三世紀後半)
左側:制吒迦童子立像(せいたかどうじりゅうぞう)
ヒノキ材、一木造、古色、彫眼 像高25.4cm 平安時代(十一世紀)
本三尊像は観音寺の塔頭であった大聖院の本尊として伝わった像である。制作年代が異なるため、当初から不動明王三尊立像として造られたのではなく、矜羯羅童子立像が造られた鎌倉時代以降、台座が新調された宝暦七年(1757)までのいずれかの時期に三尊として組み合わさったものである。
中尊の不動明王立像は腰を右に捻り、左足を斜め前に出して両第一指先を反らせて立つなど体部の各所に左右及び前後の動きが極めて生動感のある表現がされている。また、側面感において量感を見せ、裳の折り返しなどに表現される重層観、頭部が大きく上半身が詰まる短躯のプロポーションなどから制作時期は九世紀と考えられる。九~十世紀の不動明王像は坐像が多く、立像は少ないため、本不動明王像は立像の古例となる。そのほか、両耳前に表現されている炎髪はこれまでに知られている他の作例が坐像では十世紀、立像では十一世紀であり、炎髪(えんぱつ)を表す不動明王像の最も早い例になると考える。
矜羯羅童子立像は、「恭敬小心」の性格を幼子が腰をかがめて合掌し、中尊を見上げる体勢で表し、あどけない表情や両耳近辺の流動的な髪の動きが巧みに表現されている。しかしながら、裳の正面部の簡素な処理や、側面から背面にかけての折り返し部にやや精彩を欠いた表現がみられることがあり、十三世紀後半の制作と考えられる。
制吒迦童子立像は、「瞋心悪性」の性格を忿怒相と両肩を怒らせて直立する様で表現している。髪の縁だけに巻毛をめぐらせることで生動感とボリュームを表し、裳の下端の緩やかなうねりをつけるなど、柔らかな質感や直立する中に動きを与えるなど見事な表現が見られ、十一世紀の制作と考えられる。
本三尊像は保存状態が極めて良好であり、特に不動明王立像は早期の作例として、不動明王像の受容と展開を考える上で見過ごすことのできない学術的価値を有する非常に重要な仏像である。
(写真撮影:金井杜道)