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宮垣薬師堂 木造薬師如来坐像

ページID:0001349 更新日:2020年11月10日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

 

1 宮垣薬師堂 木造釈迦如来坐像(国指定)

木造薬師如来坐像(宮垣区薬師堂)の画像

 

福知山市夜久野町直見宮垣(管理:浄念寺)  一軀 木造漆箔 像高83.0cm 天仁二年(1109)銘


 昭和四十年(1965)年に発見された像内銘文によれば、釈迦如来として滅罪生善(罪を滅ぼし善を生ず)・極楽往生のために天仁二年(1109)に安心という人物によって造像されたことが判明する。

 往生極楽を願うために阿弥陀如来ではなく釈迦如来を選択していることは興味深いが、おそらくこれは現世において滅罪生善するためには、現世にいます釈迦如来に祈ろうとする考えによるものと思われる。この考えは、鎌倉時代の貞慶などに明確にみえるが、十二世紀初に表れていることは重要であろう。

 作風的な特徴は、衣文線が多く刻まれることと、脚部上面に襞をたたんだ円弧上の衣文をあらわす装飾的な表現にある。このような意匠の現れ始めるメルクマールとしての意義も持つ像である。また本像には脇侍として台座裏に応永二三年(1416)の墨書銘のある日光菩薩・月光菩薩像があることも見逃せない。

釈迦如来坐像銘文

造像銘(像内胸腹部 墨書)
「為滅罪生禅往来極楽
奉造立釈迦尼如来像
天仁二年十月廿三日仏子安心」
※銘は首下から腹部にかけて一筆で記される。造像銘と認められる。

修理銘(両足部刳面墨書)

(前寄斜面)

「於丹波国
願主久兼
性春
仏子侍従
応永二十八■カノトノ
十二月五日敬白」

(平の部分)

「抑比再興
旦那者
夜久■家
无病自在
子孫繁昌
為也
仏師者
都一条
烏丸
■■
天文十弐卯癸
姑洗十ニ日
成就也」


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