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醍醐寺 木造薬師如来坐像

ページID:0001336 更新日:2020年11月10日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

 

4 醍醐寺 木造薬師如来坐像(府暫定・市指定)

木造薬師如来坐像(醍醐寺)の画像

 

福知山市字猪崎 

一軀 像高82.3cm 寄木造 康正作 元亀二年(1571)

臨済宗南禅寺派に属する醍醐寺の本尊で、等身の薬師如来坐像である。像内墨書銘によると元亀二年(1571)第六世住持眼光恵透の発願により京都七条大仏師法眼康正(こうしょう)が作成したことがわかる。

像は面長な面相部や平板な肉取りに時代の特色があらわれているが、頭部と躰部の均整のとれた像形、品位のある面貌、曲線を多用しながら煩雑にはしらない衣文構成など、いかにも七条大仏所の正統を継ぐ仏師の作であり、当代の基準となし得る優品である。

作者康正は、主に天正から慶長年間(1573~1615)に活躍した仏師で、鎌倉時代の仏師運慶の流れをくみ、慶長八年(1603)に京都教王護国寺(東寺)金堂の薬師三尊像を造立したことで有名で、近世仏師の祖といわれる。檜材を用い、寄木造、玉眼嵌入(ぎょくがんかんにゅう)、表面は現状古色を呈する。薬壺・白毫(びゃくごう)は後補。この像は元亀二年(1571)に作成され、延宝六年(1678)に修理したことが像内銘からわかり、このように作者や修理時期等が判明する市内では数少ない貴重な仏像である。

(像内前面墨書銘)

 大日本国丹波国天田郡庵我庄

 木塔山醍醐寺本尊薬師瑠

 璃光如来 奉作元亀二年辛未

 八月七日時住持比丘眼光恵透并本願

 大学周文知蔵禅師於本寂巳後成就也

(像内背面墨書銘)

 七条大仏師左京法印康秀子

 同大夫法眼康正作


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