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夜久野玄武岩柱状節理

ページID:0001320 更新日:2020年11月10日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

 

1 夜久野玄武岩柱状節理(やくのげんぶがんちゅうじようせつり)(府指定)

夜久野玄武岩柱状節理の画像

福知山市夜久野町小倉

夜久野町には京都府内では唯一の(註1)火山の宝山(田倉山)がある。「夜久野高原」または「夜久野が原」と呼ばれる溶岩台地(註2)と、噴火口のある標高350mのスコリア丘(噴石丘)(註3)である宝山(田倉山)とが火山のつくった地形である。この火山は今から30万年~38万年前に噴火した。夜久野町から兵庫県朝来市にかけて、三種の玄武岩溶岩が分布しているので、少なくとも三回の噴火をしたことが分かる。最初の噴火では「小倉溶岩」(36.7万±1.7万年前)を流出して、東部の小倉付近の溶岩台地をつくった。二回目の噴火では「衣摺溶岩」(36万±1.3万年前)が流出し、府県境付近より西方の溶岩台地をつくった。三回目の噴火では「田倉山溶岩」(31.3万±1.1万年前)を流出し、この溶岩は溶岩台地周辺の谷に流れ込んだ。宝山の山体はこの三回目の噴火の時につくられたと推定される。

玄武岩公園の柱状節理は、最初に噴火した小倉溶岩のものである。柱状節理とは、熱い溶岩が冷え固まるときにできる冷却割れ目である。ゆっくり冷えた部分は冷却面(溶岩流の表面)に対して垂直な柱状になり、溶岩最上部は急速に冷やされて板状の割れ目(板状節理)ができる。玄武岩公園では最上部に厚さ数mの板状節理があり、その下が高さ10mほどの柱状節理になっている。これは谷底まで続くので、流れ込んだ溶岩流の厚さは20mを越えるだろう。公園東部では溶岩の流出以前にあった谷の斜面と玄武岩溶岩が接しているところがみられる。

  • (註1)火山とは新生代第四紀(260万年前から現在までの時代)に噴火したものをいう。舞鶴の青葉山は約1500万年前に噴火しているので火山ではない。
  • (註2)玄武岩のように粘り気の少ない溶岩が谷を埋めたてた後、谷を流れていた川に周りを浸食され、溶岩が台地状に取り残されると溶岩台地が形成される。
  • (註3)噴火口から泉のように吹き上げた溶岩の破片が火口周辺に堆積してできた火山体を噴石丘といい、堆積したものが黒ければスコリア丘、白いと軽石丘と呼ぶ。

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