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観音寺聖教文書類

2 観音寺聖教文書類(かんのんじしょうぎょうもんじょるい)(府指定、典籍2)

福知山市字観音寺 鎌倉時代 - 昭和時代

  • 聖教類  1,883点
    • 中世聖教 83点
    • 近世聖教 1,756点
    • 近代聖教 44点
  • 文書  532点
    • 巻子装文書 76点
    • 近世文書 434点
    • 近代文書 22点

観音寺は、福知山市東部、由良川の南の小高い台地上に寺地を占める。養老二年(720)法道が開き、応和元年(961)空也が再興したと伝える真言宗の古刹で、補陀落山と号し、千手観音立像を本尊とする。

当寺には、中世以来の聖教文書類が多数伝存している。

聖教類は、事相聖教が大半をしめ、中院流の儀軌と印信類を中心に1,883点が伝来する。また、真一西神道の流れである三輪流神道の印信類が比較的まとまって伝えられていることも特筆される。

文書は、鎌倉時代前期建仁二年(1202)三月の観音寺別当職を補任した某下文を最古のものとして、中世文書29点、近世文書481点、近代文書22占一の532点を数える。これらは、中世文書のすべてを含む76点の文書が巻子三巻に成巻されるほかは、ほぼ当初の形態を今にとどめている。

中世聖教類は、いずれも室町時代以降の書写になるもの84点が残るが、なかでも永正六年(1509)に神道大阿闇梨権少僧都法印幸尊から慶尊に対し授けられた17点の神道印信は、中世に遡る三輪流神道印信の遺例として希有のものである。近世聖教類は、多聞院、大聖院の住僧が書写・所持していたものが系統的に残っていて、当寺の旺盛な宗教活動の足跡を窺える史料である。これらによれば、当寺住僧の多くは、高野山で修行し、伝法潅頂を受け、種々の儀軌を書写したことが知られる。他方、綾楞厳寺、室尾谷観音寺など丹波、丹後の密教寺院との間でも相互に聖教類の借覧、書写を行っていた様が窺える。

中世文書は、鎌倉時代12点、南北朝時代5点、室町時代10点、安土桃山時代2点の計29点を数える。これらは、観音寺別当職の補任状、当寺への田畠等の寄進状、課役免除の状などで、観音寺が鎌倉時代以降中世を通じて、観霊場として崇敬と保護を受け、宗教活動を行りてきたことを示す文書である。近世文書は、比較的まとまった点数が伝わる。近世観音寺の二つの子院である多聞院、大聖院の住僧に対する僧位・僧官の補任状をはじめ、綾部藩主九鬼氏からの寺領の寄進状、本寺(高野山宝城院)や末寺との関係を示す文書から、寺の普請や作事などに関する文書など、当寺の近世史を具体的に伝えるものである。

以上のように、本聖教文書類は比較的まとまった量が伝存しており、中世以来の丹波の密教寺院における宗教活動の具体相を研究するうえで史料価値が高く、貴重である。


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