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長者森古墳

ページID:0001303 更新日:2020年11月10日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

2 長者森(ちょうじゃがもり)古墳(府指定)

長者森古墳全景の画像
長者森古墳全景
長者森古墳羨道(開口)部の画像
長者森古墳羨道(開口)部

福知山市夜久野町高内

 夜久野町を西から東に流れる牧川沿いの平地は、上夜久野と下夜久野に分けられている。上夜久野の荒堀遺跡では、縄文時代早期から晩期の土器や石器が見つかっているほか、下流の日置遺跡では弥生時代の銅剣形石剣が出土している。古墳時代では、後期には上夜久野や福知山市牧付近に横穴式石室を伴う古墳が盛んに造られた。それらの中で長者森古墳は最大規模のものである。

 長者森古墳は夜久野町高内の市立育英小学校敷地内に位置する。かつて付近には2基の古墳があったと伝えられているが、現在はこの古墳が1基、円形の墳丘と横穴式石室を良好に残している。

 この古墳の立地は、上夜久野地域の東南端、牧川の北側に位置する丘陵先端の段丘面上にあたる。育英小学校の敷地は丘陵地を造成した標高約117mの高台にあり、当古墳は国道9号線から比高差約10mの斜路を上がった校門内の校庭の一角にある。

 墳丘の現況は、植栽が全体に行われているほか、西及び南側裾付近に数基の校舎改築記念碑類が設置されている。また、墳丘裾付近には石列が円形に巡っているとともに、墳丘中段及び開口している横穴式石室の入口に、古墳保護のために進入防止用のコンクリート柱と鎖が設置されている。以上のような後世の若干の改変はあるものの、直径約23m、高さ約4.7m規模の墳丘は旧状を良く留めているといえる。

 内部主体は東南東に向いて開ロする大型の両袖式横穴式石室である。その規模は、全長12.2m、玄室長5.5m、同幅2.3m、同現存高2.6m、羨道長6.7m、玄門幅1.1mを測る。

 使用石材は地元に多数ある玄武岩である。なお、石室内の測量調査は行われているが、発掘調査は実施されていないため、本来の床面は更に下にあるものと考えられる。また、羨門付近の石組みは後世の修復改変がうかがわれる。玄室内の石積みは奥壁、側壁とも比較的小ぶりな自然石を多用し、やや持ち送りぎみに内傾させて8~9段積み上げる。傾斜角度は奥壁が一様に約87度であるのに対して、側壁は全体として約80度になる。現床面から約1メートルの高さで内傾斜が強くなり、床から中位までが広い構造になっている。小ぶりな石材が多いなかで、各壁面基底部、両側壁中位部分、天井部に幅1mを越えるやや大きい石材を使って石積を安定させる工夫をしている。天井石は、玄室内が4個、玄門上部から羨道部にかけて6個が確認できる。玄門部左右の袖石は、方柱状の石材を立てているが、天井石まで達しない。

 羨道部の側壁は、小ぶりな石を高さ2mほどまで積んでいる。その床面は、現状で玄室床面より約0.3m高い。石室の石積みには緩み等もなく、良好な状況を保っている。

 なお、現在福知山市夜久野町化石・郷土資料館に展示されている須恵器杯類、鉄刀などが当古墳関係の出土品の可能性もあるが不明である。横穴式石室構造の特徴や先に述べたことから、築造時期は古墳時代後期後半(6世紀後半)と推定できる。長者森古墳の石室は、後期古墳のなかで、旧丹波国中最大級であり、保存状況も極めて良好である。また、大型の両袖式横穴式石室を持つ近畿地方の事例中でも最古の部類と評価できるなど、京都府の古墳時代を考える上で重要な古墳である。


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