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福知山城跡
4 福知山城跡(市指定)
福知山市字内記 城跡
福知山城は、市街地南の段丘から北東に伸びる舌状の丘陵突端部(標高約40m)に立地する。
明治の廃城令に伴い、ほとんどの施設が棄却され、天守台周辺の石垣が遺されていただけであった。昭和61年に天守閣が復元され、往時の面影がしのばれるようになっている。
福知山城は、天正七年(1579)頃には明智光秀が築城に着手し、順次整備され元和六年(1620)頃に完成したものとされている。現存する石垣は、野面積みの豪放なもので近世初頭の特徴がよくみられる。
昭和59年に実施した発掘調査の結果から、天守台周辺の石垣は3~4回の増築が確認された。当初の天守台は独立式で、連郭式に改められ、順次拡張されている。さらに当初の天守台部分には、多数の石塔類が石材として使用されており特徴的である。出土した土器類や瓦類からも、天正年間に築城が始まったものと推定され、伝承が裏付けられるものであった。