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丹波の漆掻き

ページID:0001296 更新日:2022年6月15日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

 

1 丹波の漆かき(府指定)

丹波の漆掻きの画像

 福知山市夜久野町  NPO法人 丹波漆<外部リンク>

 漆掻きとは、漆の木に傷をつけそこから出てくる樹液を採取する仕事である。夜久野町はかつてこの漆かきの本場で、多くの男がそれを生業とし、毎年初夏から秋遅くまで各所に出かけ漆かきを行っていた。こうして採取された漆は丹波漆と呼ばれ、越前(福井県)その他の漆に比べ質の良さでその名が高かった。

 丹波の漆かきの活動範囲は地元の天田郡を中心に、東は若狭・遠敷郡(福井県)、西は但馬(兵庫県)から美作(岡山県)、因幡・伯書(鳥取県)、さらには九州にまで及んでいた。良い漆の木を求めて出かけたわけである。その良い木のある仕事場の選定を「山たて」といった。山たては、適切に仲間をつくって行うことが多く、だいたいは秋の末までにそれを済ませ、資金の調達など次の仕事の段取りに取り掛った。
 樹液の質が良く、仕事もしやすいのは十五~十六年生の径五.五寸(約15.5cm)くらいの木で、そうした木三百本で「一人かき」とするのが理想的な山たてとされていた。一人かきとは適当に間隔をあけて木を休ませながら行う一人1シーズンの仕事量である。

 その間隔は五日目にもとの木に戻る「五日へん」が一番良いという。

 漆かきは、六月十日頃の初鎌入れにはじまる初ウルシ以下、七月上旬すぎから九月上旬までのサカリウルシ、九月上旬すぎから十月いっばいまでのトメウルシ、そして最後のセシメウルシと続く。初鎌入れは、荒皮を剥ぎ、はじめて刻み目を入れ樹液を採ることである。このとき刻み目は幹の一定部分の上部に一本、下部に二本入れられるが、この刻み目の数と長さを増やしながら秋まで採取し、刻み目が幹の全面に及ぶと木を伐り倒し、その枝を水に漬けたり焚火で暖めたりしながら強制的に搾り取った。セシメウルシはそれから出た名で、その漆は透明度では劣るが粘着力は一番強く友禅の型紙を作るのに重用された。

 木を休ませながら行うこの採取法は、質を保ちながら樹液を最大限に採取するための方式であり、丹波漆のアシが軽い、ミが濃い、イロが良い、ニオイが良いと評される品質の高さはこの採取法によるところが大きいという。漆の栽培は、明治になって近世諸藩の保護奨励がなくなり、その一方で養蚕その他が山村に広がっていくなかで漆畑が桑畑に切り替わるなど急速に廃れていった。また、生活の近代化とともに漆の需要も落ち込み、漆かきの業は東北の一部に残るばかりとなった。

 丹波では昭和二十四年に丹波漆生産組合が結成されたが、その機能は早くに停止した。幸いその採取技術は故衣川光治さんの努力で今に伝えられたが、生業としての基盤を失ってすでに久しく、技術そのものも伝承が困難になっている。

 この丹波の漆かきは、民俗として重要であるばかりではなく、高度な漆工芸の保護のためにも必要な技術伝承であり、価値が高く貴重である。


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