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広峯十五墳出土品

1 広峯15号墳出土品(国指定、考古資料1)

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福知山市字内記13‐1 福知山市蔵

盤龍鏡(景初4年5月丙午の銘) 1面(径16.8cm)

碧玉管玉(残欠共) 2箇(長 0.8cm 径0.4cm)(長 径0.5cm)

刀剣類

鉄剣 1口(全長35.4cm 身幅3.1cm)

鉄槍 1口(全長37.1cm 身幅3.1cm)

工具類

鉄斧 1箇(長11.3cm 身幅9.0cm)

鉄鉇 1本(長19.0cm 身幅0.7cm)

 広峯(ひろみね)15号墳は、福知山駅の南、市街地を一望のもとに見渡すことのできる丘陵上に立地していた古墳で、昭和61年(1986)に、区画整理事業に伴い発掘調査が実施された。広峯古墳群は、古墳時代初頭に築造が始まり、中期にまで造墓活動が続き、南から伸びる樹枝状丘陵の狭小な稜線上に連綿と古墳が築かれていた。

 広峯15号墳は、古墳群の盟主と目され、丘陵前面の最高所を占めて築造されていた。後円部の約2分の1と前方部の側面が失われていたが、全長40m、後円部径25mの前方後円墳に復元されるものであった。墳丘は、盛土を用いず地山の削り出しによって形成され、段築(だんちく)・埴輪(はにわ)・葺石(ふきいし)など外表施設はもたない。

 埋葬施設は木棺直葬の土壙墓(どこうぼ)1基で、約2分の1が失われていたが、墓壙は残存長10m、幅5mを測る。木棺は、組み合せの箱形で、残存長3.6m、幅0.7mを測る長大なものである。棺内は二分され、内面には朱が塗布されていた。主室頭部横に銅鏡1面が置かれ、副室に碧玉管玉(へきぎょくくだたま)2・鉄剣1・鉄斧1・鉄鉇(やりがんな)1が納められていた。鏡には絹布がわずかに付着しており、布にくるまれて納められていたものと推定される。また、棺側棚状施設に、鉄槍1と革製品の痕跡が検出された。

 広峯15号墳は、由良川流域の前方後円墳として初現である。しかし、外表施設を欠き、埋葬施設も棺被覆施設をもたないことなど、定型化した前方後円墳として認識されるものか、近畿地方北部の古墳時代を考察する上で問題の一つとなっている。

 盤龍鏡は、面径16.8cm、鏡背の構成は中心から半円紐(ちゅう).円圏座(えんけんざ).内区・銘帯・櫛歯文帯(くしはもんたい)・鋸歯(きょし)文帯・複波(ふくは)鋸歯文帯となっている。内区には、四頭の龍が中心から湧き出すように放射状に配置される。

 銘帯には、「景初四年五月丙午之日陳是作鏡吏人詺之位至三公母人詺之母子宜孫寿如金石兮」の35文字の銘文が鋳出されている。なお、景初四年は魏の年号で、西暦240年にあたる。

 現在までに日本で500面以上の鏡が出土しているが、紀年銘鏡は8種11面にすぎない。出土状況の明らかな本例は、我が国の紀年銘鏡の様相や対大陸交渉をはじめとした古墳時代の社会の実態を解明する上で、その学術的価値は極めて高い。


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