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熊野神社 懸仏

4 懸仏(かけぼとけ)三十二面一躯(府登録、市指定)

熊野神社 懸仏の画像1

熊野神社 懸仏の画像2

熊野神社 懸仏の画像3

福知山市大江町字北原小字大谷 熊野神社

鏡板径 34.1~8.2cm 平安時代~室町時代

 熊野神社のある北原は、平家の落人が開いた隠し田村であるという伝説がある。平氏の信仰のあつかった熊野権現を氏神としてまつったのが熊野神社であるという。

 熊野信仰は、熊野三山にたいする信仰を中心とした山岳修験で、上代・中世に非常に盛行し、熊野曼荼羅をはじめとして多くのすぐれた垂迹美術を生みだしている。熊野神社にのこる懸仏はこの信仰における本地仏をあらわしたものである。

熊野神社にのこる懸仏は、尊像を失って鏡板のみをのこすものも含めて三二面と、鏡板を失って尊像のみをのこすものが一躯である。

 銘文のあるものは二面のみであるが(うち一面には「永享十二年」(1440)の年号がある)、年代的には平安時代後期の竜樹菩薩毛彫り鏡像をはじめとして、鎌倉時代後期の木造懸仏など当地における古くからの熊野信仰を物語るものがみられる。多くは、室町時代のものであるが、これらの懸仏は中世における盛んな信仰を示している。

 尊像としては、熊野三尊像や、蔵王権現像、阿弥陀如来像、薬師如来像などが多く伝わっている。材質や技法からみても、鏡板毛彫り式、木造、鋳造、銅板圧し出しなど、多種多様にわたっており、懸仏の様式的な展開のようすをみることができる。

 このようにながい期間にわたる、さまざまな技法、尊像の懸仏が一か所にまとまって多数遺されていることは、当地の熊野信仰の様子を知る上でも貴重な資料となるものである。


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