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如来院 懸仏

3 懸仏(かけぼとけ)六面(府指定)

如来院 懸仏の画像1如来院 懸仏の画像2

福知山市大江町仏性寺 如来院

それぞれ裏面に應永十年未夘月十八日の銘がある。

寸法 鏡板径 像高

蔵王権現 32.1cm 12.6cm

阿弥陀如来 32.3cm 14.7cm

虚空蔵菩薩 32.5cm 14.5cm

薬師如来 32.5cm 14.4cm

釈迦如来 32.2cm 14.4cm

馬頭観音 32.1cm 14.2cm

時代 室町時代 応永10年(1403)

 如来院は近世には仏性寺と号し、字内宮の皇大神社の神宮寺であった。如来院にのこる金銅懸仏六面は、製作技法を同じくしており、同時に一具として製作されたものである。鏡板は、ヒノキ材縦二枚または三枚矧ぎの裏板に、金銅薄板を縦二枚矧ぎ合せ貼りとし、周囲に覆輪を伏せ、蒲鉾形圏線をめぐらし、内・外区に分け、内区には中央に金銅板打ち出しの像を据える。裏板にはそれぞれ当初の墨書銘が局るが、墨色が薄れてほとんど判読できない。しかし、幸いなことに應永十年未夘月廿八日という制作年月日が読みとれる。さらに、蔵王権現・阿弥陀如来・釈迦如来・馬頭観音の四面には、薄れた墨書銘のうえから、後世の墨書銘が書かれている。

 懸仏とは、平安時代に本地垂迩的な考えが生じるとともに、神鏡の中に本地仏の顕現を求めることから製作された御正体鏡や、仏教の修法において、鏡面に仏像の姿を観想して曼荼羅などを刻んだとみられる鏡像などから発達したもので、初期には像を線刻するなど平面的であったものが、やがて半肉彫・丸彫の像を据える立体的な表現へと発展する。室町時代には天蓋・花瓶など装飾が多くあるため、鏡板に比べて仏像が小形化してくる。

 如来院の懸仏の作風は地方色が強く現われているが、技法的には像そのものを比較的簡単に表現し、装飾を華かにする点などに、室町時代の特色がよくあらわれている。


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