ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

大中臣氏略系図

ページID:0001252 更新日:2020年11月13日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

2 大中臣氏略系図 附幡一幅(府指定)

大中臣氏略系図の画像1 大中臣氏略系図の画像2

個人蔵

一巻 系図 巻子装 縦30.7cm 横549.0cm

八紙継ぎ 延慶二年(1309)

(附)幡 一幅 掛幅装 縦117.6cm 横39.2cm

 桐村家は中世武士大中臣氏の一族で、鎌倉時代後期頃、丹波国金山郷地頭として土着した大中臣経久(つねひさ)を祖とする一流である。室町時代には有力な地方武士として、同族の金山氏とともに当地に勢力を張ったが、江戸時代には農民となった。本系図は奥書に「右系図ハ延慶二年大略治定畢」と記されており、この年に作成された一本と推定される。恐らくは経久の代に丹波に移住するにあたって書写されたものであろう。

 本文の主要部分は一筆のていねいな楷書であるが、追筆部には行書が混じる。巻首・巻末が一部欠けており後筆で補う。系線は主要部は朱線、追筆部は墨線。全文にわたって墨点で仮名を付す。本文は藤原氏北家を遠祖とする原系図に、鎌倉時代最末期の那珂氏の所領注文を書き加え、さらに丹波移住後、室町時代末までの金山氏・桐村氏の歴代を書き継いでいる。注記は詳細で「或説云」「日記見之」といった表現があって、複数の記録を参照して作成されたことが明らかで、またその内容もその時代の史料とよく一致し、信頼すべき史実を多く含んでいる。鎌倉時代にさかのぼる武家系図の原本として全国的にもまれな伝来例であり、武士団の親族関係など中世の武家社会のあり方を知る上で貴重な史料である。なお、本系図全文の釈文は、網野善彦氏「桐村家所蔵『大中臣氏略系図』について」(1982年、『茨城県史研究』48)に掲載されている。

 附とした幡は絹本で、上部は一文字に二つ巴を紺地に染め抜き、下部に「八幡大菩薩」と大書する。その名号は裏書によれば愚中周及筆と伝えるもので、系図とともに桐村氏の由緒を物語る史料として貴重である。


みなさんの声を聞かせてください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?