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丹後国加佐郡河守之内二又村御検地帖写

13 観音寺丹波加佐郡河守之内二又村御検地帖(写)

丹後国加佐郡河守之内二又村御検地帖写の画像1

丹後国加佐郡河守之内二又村御検地帖写の画像2丹後国加佐郡河守之内二又村御検地帖写の画像3

(市指定)
福知山市大江町二俣 河田家蔵
 河田家に伝えられるこの写しは末尾の註記によって寛保三年(一七四三)に書写されたものであることがわかる。慶長検地から既に一四〇年経過しており、当然作物と作人は変わっているが。筆跡から判断して中段の名前が検地帖から転記したもの。下段は寛保年代の所有者もしくは耕作者であろう。耕作地に「内何畝川欠」「皆あれ」等の註記がされている。寛方の時点では洪水に流されたり、潰れ地になったものと思われる。同様に畠方のところは、以前の畠がどうやら河原になり、桑が作られた形跡がある。


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