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堀村代々庄屋記録

 

15 大堀区堀村代々庄屋記録(市重要、古文書15)

堀村代々庄屋記録の画像

大堀区 六冊 袋綴装 寛文十一年(1671)~文政十年(1827)

 「堀村代々庄屋記録」は、福知山藩堀村の庄屋横山喜大夫が朽木氏入部直後の寛文十一年(1671)に記録を始めてから明治維新にいたる、約150年間の記録といわれている。もとは十二綴であったと伝えられるが、現存しているのは次の六綴である。

  • 第一冊 寛文十一年(1671)~元禄八年(1695) 25年間 (縦41.7cm 横17.0cm)
  • 第二冊 宝永六年(1709)~享保六年(1721) 13年間 (縦41.7cm 横16.4cm)
  • 第三冊 享保十年(1725)~同十一年(1726) 2年間 (縦38.2cm 横14.7cm)
  • 第四冊 享保二一年(1736)~延享五年(1748) 13年間 (縦46.7cm 横15.4cm)
  • 第五冊 延享三年(1746)~安永四年(1775) 30年間 (縦42.3cm 横15.8cm)
  • 第六冊 文化十年(1813)~文政十年(1827) 15年間 (縦41.7cm 横16.6cm)

 堀村は、福知山城下町のすぐ南東側に接する村である。文化十一年(1814)の書上帳によると、当時の堀村は、水内・本堀の本村と、荒木・森垣・高畑の枝郷、蛇ケ端(じゃがはな)の出村の外、土師(はぜ)村地内の往還筋を含め7部落、高1652石、家数276軒、人数1053人の大村である。また、堀村は城下町に接し、京大阪への往還筋であること、一宮神社.荒木権現の鎮座するところであり藩内でも重要位置を占める村である。

 この記録は、代々の庄屋が自身の覚え書きとして、事実を記録する事を目的として作成されたもので、横山大膳.明智日向守から代々の藩主の記事に始まり、幕府や藩の触書や廻状の写し、藩への嘆願書の記録、村内やまわりの村々での出来事などを客観的に記している。

 記録第一冊の表紙の中央には単「記録帳」とのみ書かれ、その両側に「寛文十一年九月日」と記されている。喜大夫が堀村の庄屋を命ぜられたのは、彼自身の記録から寛文十一年(1671)六月十五日であるから、記録の開始はそれから約三カ月後のことである。また、本表紙の左下隅に、彼の筆跡で「喜大夫一代記録」と記してあり、喜大夫自身は自分の没後200年にわたって記録が書き継がれていくことは考えていなかったものと推測される。

 内容は、井堰の維持は営農上重要であったものと思われ、井堰の改修の記録が毎年のようにくりかえし出てくるほか、享保の1揆の記録は興味深いものである。そのほか、出稼、火災の事、洪水の事、行き倒れ人の事、隣村との争いのことなど、当時の農村の様子をほうふつさせるものがある。

 当時の農村の状態を研究する上に大変貴重な史料である。なお、『福知山市史.史料編一』に収録している。


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