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高倉神社

10 高倉神社(たかくらじんじゃ)本殿(府登録)

高倉神社本殿正面の画像
高倉神社本殿正面

神社境内の画像
神社境内

正面屋根部の画像
正面屋根部

軒組物の画像1軒組物の画像2
軒組物

一問社隅木入春日造、こけら葺附棟札一枚寛文四年(1664)

 高倉神社は、旧日置(へき)村の氏神で、牧川の川原近くに位置する。創立については明らかでないが、本社は当初、元宮山の頂上に祭祀されていたものが後に、平地に移されたと伝えられる。

 唐破風のついた拝殿のうしろに覆屋があり、本殿はその中にあり東面する。社蔵の寛文四年(一六六四)の棟札は現在の本殿の建立時のものである。これによると、当時は「高蔵大明神社」と呼ばれ、日置村の十名の有力村民が本願人となり、村中氏子と共に建てている。注目されるのは、大工が淡路島から来ている点で、「淡_津名之都来馬庄浦村之住、北条幡摩之大□平野時定」とある。兵庫県の近世社寺建築調査報告書によると、この大工と同人とみられる平時定と名のる者が、兵庫県温泉町の二間社流造面沼神社本殿(一六七四)を建立しており、この頃活躍した淡州大工グループがいたらしい。

 建物のつくりをみると、細部はよく似ており、妻飾の母屋桁の先を実肘木風につくり、太瓶束脇に細い笈形を用いる点など同じである。この大工の手法は桃山時代の豊臣氏の建物、或いは泉南方面の室町末期の建物と同じ系統で、年代相応に変化した細部を用いている。母屋桁の先の意匠、背面頭貫木鼻の輪廓の意匠がそれである。この他、当社の特徴には、中丹地域の近世社寺のなかでは指折に古いこと、七尺間口の大きな隅木入春日造であることが挙げられよう。