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島田神社本殿 附宮殿

ページID:0001228 更新日:2020年11月16日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

1 島田神社本殿 附宮殿二基(国指定)

島田神社本殿の画像1
島田神社本殿の画像2
島田神社本殿

 

 福知山市字畑中

 一棟 三間社流造、正面軒唐破風付、屋根葺材を欠く 文亀二年(1502) (附)宮殿二基

 島田神社の創立は詳らかでないが、中世の豊富庄の総社が当社にあたるとみられる。

 現本殿は京都府北部では数少ない中世神社本殿遺構として貴重なもので、内陣内西妻内法貫(にしつまうちのりぬき)の墨書から文亀二年の建立と判明した。また、永正三年(1506)の墨書のある一間宮殿二基も保存されている。

 この本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、正面に軒唐破風(のきからはふ)が付く。この正面軒唐破風は当初のものではない。屋根葺材をすでに欠くが、小屋組に当初材の一部が残っている。正面中央間に両開き板戸を構え、両側は欄間(らんま)彫物をはめ込み、格子戸引違、側背面は横板壁とする。内部は内陣を三室に区画し、各外陣(げじん)境に板扉を構え、両端室には宮殿が置かれる。縁は正面にのみ残り、側面部のものは失われる。

 丹波地方には、室町時代建立の神社本殿遺構が十数棟確認されているが、いずれも保守的な形式技法を踏襲し続けており、島田神社本殿も、全体としてはその流れのなかにあるが、身舎組物(もやくみもの)・頭貫木鼻(かしらぬききばな)・身舎正面の欄間・蟇股(かえるまた)・手挾(たばさみ)・花肘木(はなひじき)・拳鼻(こぶしばな)等の細部意匠に変化をもたせており、工匠の創意工夫が認められる。市内唯一の中世の建築物であり、貴重な資料である。

 なお、平成十八年度から三ヵ年に渡る解体復原事業により、平成二十一年の春、五百年の時間を経て創建当初の姿が現代に蘇った。


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