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野際共同墓地 宝篋印塔

34 野際共同墓地の宝篋印塔(ほうきょういんとう) 福知山市上佐々木(野際)

宝篋印塔全景の画像

総高 118.8cm、最大幅36.5cm
相輪(そうりん) 高44.3cm、径9.8cm,11.0cm,11.8cm,11.9cm
笠石(かさいし) 高27.1cm、幅32.6cm、奥行32.6cm
塔身(とうしん) 高18.3cm、幅18.0cm、奥行18.0cm
基礎 高27.1cm、幅36.5cm、奥行36.5cm
 この宝篋印塔の所在する野際の集落は福知山市の北部地域、南北に開かれた三岳谷の最深部、三岳山の西斜面中腹に位置する。家々は標高300m付近の急斜面に棚田と共に展開し、霧深い日にはさながら天空に佇んでいるような家並が三岳山とともに臨むことができる特徴ある歴史的景観を伝えている。
 古く中世に遡れば、比叡山(ひえいざん)妙香院(みょうこういん)の荘園(しょうえん)として記録のある佐々木荘(ささきのしょう)上山保(かみやまのほ)に位置し、その信仰の中心である三岳山(みたけさん)あるいは三嶽神社(みたけじんじゃ)へ至る参道の途中、玄関口にあたる。また中世以降の修験道の盛行に際しては行者の集落として開かれたと伝承され、現在でも「坊(ぼう)」名が伝えられる小字も所在する。
 共同墓地は集落のほぼ中心に開かれ、墓地入口近くの径5mほどの塚状の土盛りの中心に石造の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が置かれている。形状から葬送儀礼の際、塚の周囲を回る廻(まわ)り墓の民俗例とも考えられるが、周辺部を含めて宝篋印塔、五輪塔などの石材残欠が散乱し、地元古老からは古い墓石の収集、再利用の集積所としての役割を持つものとの教示を得ている。ただ、中世に遡る遺物片(須恵器(すえき)甕(かめ))等も地表面で採集されることから、本来の姿が中世墓に起因する塚状の形を持つことも想定され、この点については今後の考古学的調査を待つ必要がある。
 宝篋印塔は総高118.8cmを測る小振りなもので、花崗岩(かこうがん)製の基礎(きそ)、塔身(とうしん)、笠石(かさいし)、相輪(そうりん)を備え、違和感のないプロポーションから一体の完存品と考えられる。各部の詳細は、基礎の上端は反(かえり)花(ばな)式(しき)とする複弁一葉の花弁で左右を界し、隅部は子葉(しよう)の先半分のみに彫を入れた複弁とする。側面は四面(しめん)輪郭を造らず、格座間(こうざま)を設けており、うち一面に「文和(ぶんな)二癸(みずのと)巳(きのと)(1353)十一月十六 敬白 金時山 念仏一結衆中」の銘がある。塔身は四面に月輪(げつりん)を持ち、それぞれ(東:ウーン、南:タラーク、西:キリーク、北:タク)の金剛界(こんごうかい)四仏(しぶつ)の種子(しゅし)梵字(ぼんじ)を備える。笠石(かさいし)の露盤(ろばん)は六段からなり、五慶(ごけい)の傾斜を持った隅飾(すみかざ)り、下部飾りは請花(うけばな)式である。相輪(そうりん)の上請花(うえうけばな)は先端部の尖る単弁八葉小花入り、下請花は先端部に切込みを入れた八葉境界線入であり、円形の伏鉢(ふせばち)を持つ。
 以上の通り、この宝篋印塔は文和二年(1353)に建てられたものであり、現在判明する宝篋印塔では福知山市内最古になるものであり、丁寧な造り込みとともに完存品であることから同種資料の指標となるものである。建立意図や造立背景など不明な部分も多いが、野際集落の成立時期や性格、三岳山信仰との関連を考える上で重要であり、福知山市にとって極めて貴重な資料である。


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