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大信寺 山門

 

18 大信寺山門(市指定)

大信寺 山門の画像

福知山市夷一間一戸、楼門、入母屋造り、桟瓦葺き

 臨済宗妙心寺派の大信寺山門は、石垣を築いた小高い地に境内を占め、南向きに山門が開く。
 山門は、一間一戸入母屋造りの楼門で、屋根は桟瓦葺き、上層には逆蓮頭の擬宝珠付縁高欄が四周する。柱には粽をつけ、台輪を廻して禅宗様の出組斗きょうで桁を支持し、正背面の左右の柱間には丸窓、正面中央間には火灯窓をあけ、軒は二軒の扇垂木とするなど、その構成は細部に渡り禅宗様の形式で纏められている。ただし、組物を詰組としない点は、小規模な楼門であり、軒廻りが煩雑になるのを避けたためであろうか。なお、四周各柱間の台輪上には、小ぶりながら波を象った彫刻が抜かりなくあしらわれていて、細部に至る気配りが感ぜられる。
大信寺には、文政11年(1828)銘の「奉再建瑠璃光殿」と「奉再建香厳城殿」の2つの棟札が伝えられている。瑠璃光殿は後に焼失した薬師堂とみなされるし、同寺の境内を描いた天保期?の家相図にも、他に香厳城殿に相当する建築は認められないことから、山門が香厳城殿に相当するとしか考えられない。
現段階ではこの棟札が山門のものであることの確証は得られないものの、山門の建築年代は、下層の袖柱に架け渡された大虹梁の絵様や木鼻の様子などから19世紀前期とみなされ、棟札と矛盾しないことから、文政十一年をこの門の建築年とみなして大過ない。
 以上、大信寺山門は、禅寺にふさわしく禅宗様の楼門形式をとり、規模は小振りながら意匠は細部に渡り充実している。また、石垣上部の境内とのレベル差から、本堂から望むと山門が埋もれて見えるという、その特異な立地条件も注目される。
 そもそも福知山市域にて稀少な楼門形式をとる同寺の山門は、同市における近世禅宗伽藍の優れた作例として貴重である。


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