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本文

絹本著色大中臣元実像

 

4 天寧寺 絹本著色大中臣(おおなかとみ)元実(もとざね)像(府指定)

 絹本著色大中臣元実像の画像

天寧寺 福知山市字大呂

一幅 縦84.5cm 横38.2cm 大永二年(1522)

一副一鋪の画面のほぼ下半分に、墨染の法衣と袈裟をまとい、剃髪して上畳(あげたたみ)に坐す人物を描き、上方に像主のあとを継いだ政実の第三子震初侍者の求めに応じて、天竜寺の心翁等安が付けた20行からなる賛文があらわされている。

大中臣元実(生没年不詳)は、賛文に見られるように、父持実が田島清阿から伝えられた早歌を受け継ぎ、詠唱家としての奥義を相伝した人で、「実隆公記」にしばしば見られる金山備中入道は、この人をさしている。また、彼は天寧寺の門に入り、諱(いみな)を宗光、明堂と称した人でもある。さらに、父以来の将軍近習の職をはたした人であることも知られている。

絵は、没後ややへだたった遺像のため全体に理想化されているが、細筆で輪郭づけた彩色を施す技法が用いられ、大和絵の伝統を受け継いだものである。上畳の上に坐すという図様は、この時代から桃山時代にかけて数多くみることができるものであって、武将の肖像画に共通する。そして、その畳の上には、笙(しょう)と尺八という像主ゆかりの道具を配するという趣向も、この時代以降の肖像画にままみられるものである。本図は、室町時代の丹波の小領主であるとともに、足利将軍の近習として文武両道にわたって中枢で勤仕した人物の人となりを知る格好の資料で、またその作風も当代肖像画の姿を良く伝えている優品である。さらに、父持実と共に揃って一門の肖像の優品が、関係深い天寧寺に伝えられた事も貴重なことである。

なお、賛者の心翁等安は、臨済宗夢窓派の人で天竜寺第百七十七世である。

(賛文)

聴嶽寺殿明堂宗光居士遺像賛并叙」

金山備州太守大中臣元實會投天寧之室

其諱曰宗光北禅老師雅其称以」

明堂云々之父持実伝早歌於田島氏勝定相公自

絵其像賜焉一時盛時誰不」

栄羨哉夫早歌永言也謂之早何也或曰早者速也

数也準諸神楽催馬楽則其節奏」

拍子之急数也蓋尤感人心在急数之処乎竊原

其始豊聴太子見善光」

寺如来於宵寐授之以秘咒曰現爾也娑婆

東土云々太子命調子丸播之」

民間除一切苦厄也是於始与卒必以斯語其奇事不可勝言也矣一部十六冊」

凡一百六十一篇其内二篇最秘之大抵成

于法師明空之手也令嗣元実継其」

家業而天資達音律克得其妙以廣之至

今歌此一曲或吹笙哢尺八者罔不」

遊彼門也於戯加可矣法服纏身念珠在手

護戒体於大海之浮嚢観世栄於」

大虚之閃電矣方今部政実不墜父祖之

風烈事主致忠在家尽孝称善人」

者儘逮再世不渝者尠矣唯此一門三世若

画一可謂集而大成也矣戸部第」

三子震初侍者伝厳命持斯像来需賛辞

固雖拒之請不已則贅」

鄙語於其上云」

金山華族☆邑丹陽匠作持実

藝鳴扶桑早歌口決田島之郎」

勝定相府寵渥非常備州元実

人中鳳凰投天寧室法名宗光」

北禅証偈別称明堂戸部政実

声誉蚤彰惟孝後素夕誦晨香」

奕葉繁茂地久天長」

時大永二年夏四月吉辰」

前天龍七十三老拙心翁等安書于三会塔下(朱印)」


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