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本文

絹本著色大中臣持実像

 

33 天寧寺 絹本著色大中臣(おおなかとみ)持実(もちざね)像(府指定)

 絹本著色大中臣持実像の画像

福知山市字大呂 一幅 縦75.5cm 横32.2cm 文安五年(1448)

 画面のほぼ下半分に、法衣をまとい竹の曲彔に坐す剃髪の人物を一副一鋪の絵絹に描き、上方には、像主の子である宗光居士(大中臣元実)の求めに応じて、天寧寺の前住持一笑禅慶(いっしょうぜんけい)が書いた賛文をのせている。

 大中臣持実(生没年不詳)は、常陸国の那珂氏の分流で、経久の時に丹波国佐々木荘下山保の地頭職に補任されて来住した丹波大中臣氏の六代である。持実は、地頭として、また祖父宗泰が開いた天寧寺の大檀那として当地方で活躍したのみならず、在京して将軍に近侍していたことも「永亨以来御番帳」、「文安年中御番帳」などによって知られる。さらに、持実は、本図の賛文や大中臣元実像の賛文にみられるように早歌をよくするという文化人の一面もあった。

 本図は、この持実の肖像で、著賛からわかるように最晩年の姿を写したと思われる寿像(じゅぞう)である。その形式は頂相のそれをかりているが、全体に簡素な表現で、賦彩もおとなしい。しかしながら、繊細で巧みな描線により、当地のみならず京都でも活躍し、また文化面でもその才を示した一武将の人となりを良く伝えており、室町時代の肖像画中の優品として極めて注目される遺品である。

(賛文)

金山前備州太守」 永年寿公禅定門寿像」

内秘菩薩外現声聞老後竹」 椅蒲団飽食禅味平生歌曲」

鼓吹併帰霊源懿哉令子存」 罔極恩鳳出丹穴龍躍禹門」

能紹家業永昌子孫」 右令子宗光居士従予懇求」

冀語感其孝誠勉応其求云」 文安戌辰菊月二十日」

前天寧一笑叟禅慶(花押)」


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