ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

紙本著色清園寺縁起

ページID:0001194 更新日:2021年3月26日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

5 紙本著色清園寺縁起 附清園寺略縁起(府指定)

第三幅 清園寺伽藍、麻呂子親王館の画像

 第一幅 勅命、出発

 

鬼退治

第二幅 鬼退治

 

第一幅 勅命、出発の画像

第三幅 清園寺伽藍、麻呂子親王邸宅

 

 福知山市大江町河守(京都国立博物館寄託)  三幅 縦97.5cm 横54.6cm 

 
 麻呂子親王伝説は丹波・丹後に広く分布するが、その主要な筋は親王の鬼退治と薬師如来への戦勝祈願、鬼征伐後の七仏薬師の奉祀である。本縁起も、麻呂子親王の鬼退治の因縁に基づいて清園寺の開創にいたる次第を三幅の掛幅に描いている。各幅とも適宜自然景や霞を配し、数場面に分かちながら、上辺右方から始めて順次下辺左方に向かって事件を描写している。画中に詞書や挿入句がないために、全体の物語を把握しにくいところもあるが、丹後地方に広く伝播する伝承や、本図と近い関係を有し、説明の字句の挿入されている等楽寺縁起や斎明神縁起等によって内容を知ることができる。
 
 各幅は、例えば宮中は比較的広くとられ、合戦の部分は細かく分かれるという相違がみられるなど、場面ごとにその占める大きさが異なるが、構図は破綻なくまとまっており、絵巻として成立したものの写しではなく、当初から掛幅として制作されたものとみられる。
 
 画風についてみると、なだらかな丘の表現、柔軟な線描をみせる人物の描写、緊密感のある牛馬の表現に大和絵の伝統が濃厚にみられる。制作年代は南北朝時代と考えるのが妥当であろう。
 
 麻呂子親王関係の縁起絵としては、他に前述の等楽寺縁起、斎明神縁起の絵巻が残るが、本縁起絵は大型の掛幅として特異なものであり、さらに画中に詞を持たないものの、麻呂子親王伝説を語る最古の絵画資料として貴重なものである。
 なお、本縁起に付属する天保十二年(1841)の年記のある「当山(清園寺)略縁起」一冊は、縁起絵を直接絵解きしたものではなく、近世的伝承を取り込んで変化した縁起文ではあるが、おおよそ縁起絵の内容と合うものであり、麻呂子親王伝説を知る一資料として価値がある。

 


みなさんの声を聞かせてください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?