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絹本著色十一仏図

 

24 南山 観音寺観音寺絹本著色十一仏画(市指定)

絹本著色十一仏図の画像

福知山市大江町南山 一幅 86.7cm×38.4cm 室町時代

観音寺は室尾谷山観音寺といい、在田から室尾谷川の渓間を行くこと4キロメートル、鬼ケ城山の東麓にある。
背後の鬼ケ城山(544m)の山頂の平地は、戦国末に丹波守護代内藤氏、黒井城の赤井氏、福知山城の塩見氏、亀岡城の明智氏ら近国土豪の争奪の戦場となったところであり、ここを越す山道は丹波・丹後を結ぶ近道として重要な路線であった。この山の鉱物資源(銅・鉄・銀)の採掘の歴史は藩政当初に遡り、三ヶ谷には現在も二、三の廃坑と溶融炉跡を見ることができる。
寺の歴史を語る史料は、江戸時代や明治二年の火災等で亡失したが、江戸中期に記録された「略年代記」や、下記の寄進状によって栄光の姿を想起することができる。
観音寺の開創は遠く和銅の頃、行基が大和室生寺の観音刻彫の余木で造った本尊を請けたという。その後一時期寺運衰えたが、鎌倉時代貞永(1232~1233)の頃、蓮乗上人が再興し山内に十一の坊と仁王門を擁する大寺院になった。幕末から明治へかけては、本堂観音寺、金剛院、明王院、安養院、教王院の四坊となり、昭和42年に一寺に併せ観音寺となった。
中世には、地方の土豪の寺領寄進を受け、近世には歴代藩主の手厚い庇護を受けている。それらの発給文書は収蔵庫に保管されている。

 像は上から釈迦三尊、大日三尊、阿弥陀三尊を並べ、最下段の左右に不動と地蔵を配する、珍しい構成をみせる。大日如来は智拳印を結び、その左右は薬師如来と弥勒菩薩とみられる。切金文様などは硬直したものとなっているが、あまり例のない仏画として貴重である。


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