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【鬼鬼祭コラム】鬼とは何者か

ページID:0032711 更新日:2021年2月16日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

コラム扉

この記事の目次

  1. 大江山に伝わる3つの鬼退治
  2. 鬼とは何者か
  3. 「鬼とは何者か」を問いかける日本の鬼の交流博物館

 

大江山に伝わる3つの鬼退治伝説

福知山市・宮津市・与謝野町にまたがる大江山には3つの鬼退治伝説が伝わっています。

日子坐王(ひこいますのきみ)の土蜘蛛(つちぐも)退治伝説

『丹後風土記残缼(たんごふどきざんけつ)』の記述によれば、青葉山(あおばさん)(京都府舞鶴市-福井県高浜町)には陸耳御笠(くがみみのみかさ)・匹女(ひきめ)という土蜘蛛たちがいて、人々を苦しめていたという。討伐の勅命を受けた日子坐王率いる軍勢は、由良川筋で激しく戦い、ひるんだ陸耳御笠らは大江山へ逃げ込んだ…と物語がつづられます。

この陸耳御笠のことは、ほかに『古事記』の崇神(すじん)天皇の条に「日子坐王をば、旦波国(たにはのくに)に遣わして、玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を殺さしめたまひき」と記されています。また、福知山市大江町には、「蓼原(たでわら)」や「河守(こうもり)」など両軍が戦ったことが地名の由来とされている地域があります。

 

麻呂子親王(まろこしんのう)の鬼賊退治伝説

【伝説の概要】

六世紀末ごろ、大江山に英胡(えいこ)・軽足(かるあし)・土熊(つちぐま)という鬼が率いた悪鬼たちが集まり、人々を苦しめていたため、天皇は聖徳太子の異母弟にあたる麻呂子親王に征伐を命じた。道中、老翁があらわれ、頭に鏡をつけた白犬を献上された。その白犬を道案内として雲原村に向かい、ここで自ら薬師像七躰を彫刻した。この地を仏谷という。

大江山の鬼の岩窟にたどりつくと、英胡・軽足の二鬼を討ちとったものの、土熊を見失ってしまった。そこで、白犬の明鏡で照らしたところ、土熊の姿がその鏡にうつり、これも退治することができたという。

 

源頼光(みなもとのよりみつ)の酒呑童子(しゅてんどうじ)退治伝説

【伝説の概要】

「西山(せいさん)に妖鬼住み、王法を倒そうとしている。」

阿倍晴明(あべのせいめい)がそう占ったことにより、酒呑童子を退治するための勅命が下った。大江山へ向かうのは源頼光を筆頭に、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)並びに坂田公時(さかたのきんとき)、渡辺綱(わたなべのつな)、卜部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)ら6名、多勢の軍卒を率いて正暦(しょうりゃく)元年(990)3月21日、丹波を目指した。一行は山伏姿になって大江山に向かう。翁たちからは神変奇特酒(しんぺんきとくしゅ)・神明御守護の星甲(ほしかぶと)を与えられ、酒呑童子の屋敷にたどり着く。

酒呑童子は、一行を修験者(しゅげんしゃ)だと思い込んで気を許し、酒宴の場に誘った。頼光たちは翁たちから与えられた酒を童子と手下の鬼たちに飲ませて酔い潰し、頼光は酒呑童子の首に切りかかる。首を打ち落とされた童子は首のみで頼光の兜に喰らいつくが、一行は無事、鬼たちを討ち、都へ凱旋した。

 

鬼とは何者か

酒呑童子伝説から見る鬼の姿

大江山に残る伝説のうち、もっとも有名なものが、酒呑童子(しゅてんどうじ)伝説です。日本三大妖怪のひとつでもあり、日本の妖怪変化史の中で“最強の妖怪=鬼”として今日までその名をとどろかせています。

伝説の中で、酒呑童子は武将・源頼光(みなもとのよりみつ)に騙されて討(う)たれます。頼光たちは、自らを山伏(やまぶし)だと言って近づき、毒酒を呑ませて自由を奪った後に斬りつけて、酒呑童子一党を倒しました。

酒呑童子は、このとき「鬼神に横道なきものを!」(鬼はそんな卑怯な手は使わない!)と頼光を激しくののしりました。

酒呑童子は都の人々にとって悪者、仏教や陰陽道などに対抗する存在でしたが、退治される酒呑童子にとってみれば自分たちが昔から住んでいた土地を奪った武将や陰陽師たち、その中心にいる帝こそが悪人だと感じるものだったのかもしれません。

酒呑童子伝説は平安時代の出来事として構成されながらも、その成立は南北朝時代以降とされています。

室町時代に入ると、世阿弥(ぜあみ)によって大成された「能」に、鬼の説話がとり入れられます。現代風にいうと、鬼の出てくる演劇(能)が非常に多く作られて、ストーリー性のある鬼の説話が社会的に見世物として受け入れられていったということです。酒呑童子を主題とした「大江山」という能もこの頃につくられました。

日本における最初の庶民向け短編童話集「御伽草子(おとぎぞうし)」に描かれた大江山の酒呑童子伝説は、その後、全国に広がり、舞台である大江山は全国を代表する“鬼の棲む山”となっていったのです。

 

鬼とは何者なのか

現代社会で「鬼」という言葉は悪の代名詞、または反社会的なものとして例えられることが多くあります。

それは間違いではありませんが、それだけが「鬼」の本質ではありません。「鬼」は善悪を超えた存在です。つまり、一方的に否定的なものとされるものではなく、善を生み出す力をもつ存在でもあります。

「鬼」は、古来より社会的に絶えず再生産され続けながら必要に応じて変化し、現代に伝わってきました。人間は、コントロールできない超能力的な出来事や、予測不可能な出来事、理解できないものを理解しようとして様々なものを生み出してきましたが、「鬼」もそのなかのひとつなのです。

 

「鬼とは何者か」を問いかける日本の鬼の交流博物館

→日本の鬼の交流博物館のページへ行く

鬼の町にできた鬼のミュージアム

日本の鬼の交流博物館は平成5年4月25日に開館しました。この年は、皇太子さま・雅子さまの御結婚やサッカーJリーグが開幕した年です。以来ずっと「鬼とは何者か」を問い続けてきました。

鬼伝説に関する博物館構想が立てられたのは、旧大江町時代のことです。大江町内では、当時の地域経済を支えていた河守鉱山の閉山をはじめ、少子高齢化と過疎化による人口減少が深刻な問題となっていました。

そこで町では大江山に伝わる「鬼伝説」をテーマとしたまちづくりが進められ、佛性寺地区を「酒呑童子の里」と名づけ、国内のみならず世界の鬼文化を展示するとともに、交流を通して鬼文化をさらに創造発展させる“新しいタイプの博物館”として日本の鬼の交流博物館を建設しました。

 

初代館長、2代目館長の対談

日本の鬼の交流博物館の立ち上げから関わり、初代館長を務めた村上政市(むらかみまさいち)名誉館長(以下、村上さん)と、平成21年から平成31年まで館長を務めた塩見行雄(しおみゆきお)館長(以下、塩見さん)にお話をうかがいました。

大江町の「鬼」を柱とした新しいまちづくり

日本の鬼の交流博物館は、どのような目的で建てられたのでしょうか。

村上さん 

地域経済を支えた河守鉱山の閉鎖や人口減少といった強い危機感を背景に、旧大江町では、「鬼」を柱とした新しいまちづくりが進んでいました。この博物館は、そのまちおこしの中核施設として建設されたものです。

酒呑童子退治の伝説が990年。博物館の開館が1991年。まさに鬼が千年の眠りから覚めたようです。博物館には「交流」という言葉が入っていますね。

村上さん 

博物館の開館には、本当に多くの人の協力がありました。大江町に住む人、出身者だけでなく、福知山や舞鶴など近隣に住む人々が、日本のみならず、世界各地からたくさんの展示資料を集め、寄付してくれました。「鬼がつなぐ交流」を通じて完成し、また、近隣施設や研究者と新たな交流を生んでいく拠点となるよう願いがこめられています。

当時の反響はどのようなものでしたか?

村上さん 

それはすごいものでした。日本で最初の鬼文化施設というもの珍しさもあり、2年半で10万人を突破するほどでした。

塩見さん 

しかし、京都縦貫自動車道が宮津までつながったころから来館者は減り始めました。平成16年の台風23号災害で、長期にわたって府道大江宮津線が通行止めになったことも大きかったと思います。福知山市と旧三町が合併したことで、この博物館の意味合いも変わっていきました。

村上さん 

塩見さんには、大変な時代に館長という職を引き継ぐことになり、苦労も多かったと思います。

塩見さん 

それでも、一度は見ておきたいと全国から博物館を訪れてきてくれます。季節毎の企画展も続けていますので、繰り返し来ても楽しんでもらえるよう工夫しています。

鬼=悪役という固定観念をはずすと、鬼の持つ意外な側面を見つけることができます。鬼とは一体、何者なのでしょうか?

塩見さん 

酒呑童子退治の伝説は平安時代中期のものです。大江山は都に対して辺境、よくわからない不気味な場所と見られていたかもしれません。また、古代の丹波・丹後地方には、中央政権とは異なる大きな勢力があったといわれています。脅威となる別勢力への恐怖もあったでしょう。人は、理解できないもの、得体の知れないものを「鬼」とすることで心の安定を図ってきたのかもしれません。

ものごとには両義性があります。ある人には善であっても、ある人には悪そのものであったりする。一面では判断できないものです。現代社会でも、善悪を一概に決められないことばかりです。すなわち、鬼が悪である、とは言い切れないのです。

博物館では、物語の中で退治される鬼だけでなく、恐れながらも人智を超えた存在として敬われる鬼、鬼瓦などの守り神としての鬼、怒りや憎しみに燃える人間のもうひとつの顔としての鬼など、様々な鬼に出会うことができます。鬼たちの表情を通して、今見えているものがすべてではない、そんな視点を養ってもらえたらと思います。

 

※この記事は、広報ふくちやま平成30年6月号の特集記事「鬼とは何者か」を再編集したものです。


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