ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > いがいと!福知山 シティプロモーションサイト > その他 > その他 > 【ふくちゼミ】 みんなの通学路の思い出 【エピソード集】

本文

【ふくちゼミ】 みんなの通学路の思い出 【エピソード集】

ページID:0042094 更新日:2022年1月5日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

本市が主催する「ふくちゼミ」は、4つのプロジェクトチーム(広報ふくちやま作成プロジェクト/移住者発掘プロジェクト/若者×地域フューチャーデザインプロジェクト/自分自身でやってみたいプロジェクト)に分かれ、高校生大学生あわせて28人で活動を行っています。

そのうち7人が参加する「広報ふくちやま作成プロジェクト」チームでは、「企画・構成・取材・編集」をすべて自ら行い、広報ふくちやま1月号掲載の特集記事の作成に挑戦しました。

特集のテーマは、全世代に共通する「通学路の思い出」。

9月はじめ、ウェブ上で「通学路の思い出エピソード」を募集したところ、36件ものエピソードが集まりました。

ご協力ありがとうございました。集まったエピソードを年代別紹介します。

※一部、抜粋や表現の言い換えなどをしています。ご了承ください。

通学路の思い出エピソード

福知山での通学路の思い出は?

10~20代

  • 高校生の頃、毎日土師橋を通って登校していました。春になると、桜がきれいに咲いていて友達と写真を撮ったり、「お花見したいね」と話したりして桜を楽しんでいました。また、桜が風に舞っているところを自転車で通るのはとても幻想的でした。秋になると、キンモクセイの匂いがしてなんだかわくわくとした気持ちになっていました。土師橋を通ると四季を感じることができ、心が豊かになるといった思い出があります。学校に行くのが憂鬱な時もありましたが、そんな気分を和らげくれる場所でもありました。(まるさん 20代 福知山市出身)
     
  • 中学・高校の通学路で音無瀬橋を自転車で渡っていた時、猿が向かい側から歩いて来てびっくり。堂々と橋を渡っている猿とすれ違いました。他にも、由良川の堤防を自転車で走っていると、いのししとウリ坊4匹が下の畑を走っていて、並走したり…動物との思い出が心に残っています。(ちょこみんとさん 20代 福知山市出身)
     
  • 福知山駅を通って中学に通っておりました。駅は、唯一涼めるところで通るのが嬉しかった思い出があります。また駅で七夕の短冊を書く企画をやっていたときに、立ち止まって書いてから学校に行っていた思い出です。(みのさん 20代 福知山市出身)
     
  • 中学校の帰り道自分と家が真反対の友達とほぼ毎日近くの公園で喋ったり校門前で立っている先生と話す時間がとても楽しくていつも家に帰るのが遅くなっていた。(ちはさん 20代 福知山市出身)
     
  • 夕日がきれい。(10代以下 福知山市出身)

30代

  • 小学生の通学路で、一番遠い人が順に家を周り通学していた。冬になり雪が降ると私の家は通学路後半にあるのでドラム缶に焚き火をして、通学する子供たちがひととき暖まれる場所だった。あの頃は雪が寒いとか思わなかったなーと思い出を振り返りました。(きよさん 30代 福知山市出身)
     
  • 南陵中学校からの帰り道はどこを通っても線路を渡っていました。現在は踏切もありませんが私達の頃は高架下をくぐって登下校していました。その時々で下校ルートを変えたりしていたのも良い思い出です。(ゆきさん 30代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 音無瀬橋の下でよく帰り道に彼氏とおしゃべりをしました。あるとき、座って話をしていてそばに置いていたケータイを見知らぬ散歩中の犬がくわえて持っていってしまいました。。そのままケータイは行方不明に。飼い主の方から謝罪はありましたが、どうしたらいいかわからずそのまま帰宅し、母親に怒られました(笑)連絡先、聞いとくべきだったと言われて、落ち込みました。(minamiさん 30代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 思い出の通学路と言えば、土師川を渡る土師橋ですね。福高生は特に思入れあるのではないでしょうか。せっかくセットした髪型があの橋の上の風でいつも崩され教室につくなり女子は先ず鞄から鏡を出してセットし直すところから福高生の学校生活がスタートします。また長距離走でもあの橋を使うので苦しい思い出もあり、長距離走練習では友達としんどいね、と言い合いながら頑張って走った橋。少女マンガみたいに彼氏と一緒に自転車で走った素敵な思い出。通学路で必ず使ったあの橋はまさに私の青春時代そのもので、大人になった今もあの橋を今は自動車で通りますが懐かしく感じれる大切な橋です。(ハタハタ坊さん 30代 福知山市出身)
     
  • 今でこそ栄えてるが、私の中学校時代はまだ駅南エリアは田んぼだらけで、秋になると黄金の稲穂が風に揺れて、まるで王蟲の金の糸の触覚の中で歩いている様な感覚になれた。また私は南陵中学出身だが、冬に雪が降ると斜面側からの通学路である階段の雪が通学する学生により踏み固められてしまうので、足を滑らせない様皆手すりを必死に掴んで少しずつ登っている姿が見えて一抹の不安を感じられた。(でんさん 30代 福知山市出身)
     
  • 思い出…。月並みですが、友達と歌いながら帰った小学生時代。こっそり飴ちゃん舐めながら笑って友達と騒ぎながら帰った中学生時代。高校になると駅前で大好きなコロッケ屋さんで買い食いしながら恋バナして…。あー良いですね、泣きそうになる!(ちゃお。さん 30代 福知山市出身)
     
  • 中学二年生の夏休み、成美(福商時代)にクラブ活動(バレー)を教えてもらいに行きました!バレーが上手なお兄さん達に部員の仲良し4人で大盛り上がり!でも中学生と高校生では接点がなかなかないので、下校の時に岸本ガードの所で待ち伏せしてどうにか姿を見ようとしてました!岸本ガードなくなったと聞きましたが、懐かしい場所です!ちなみに、その当時教えてもらったお兄さんの1人が今の旦那さんです!(南陵OBさん 30代 福知山市出身)
     
  • 小学校への通学路の鹿避け網に角が立派な鹿が引っかかっていて、朝から通学班員でどうやって助けるか相談したことがあった。(N.さん 30代 福知山市出身)
     
  • 小学生のころ 自宅が小学校の真横にあり、集合場所からわざわざ遠回りして学校に通うルートが設定されていました。忘れ物をしたときや通学路を通って帰るのが面倒くさくなったときは思いっきりショートカットしていました。中学生のころ、南陵中学校からの下校道に岸本ガードと呼ばれる線路下の通路がありました。自転車で立ちこぎをすると頭を打つほど天井が狭く、薄暗い通路でしたが、現在はなくなっています。大雨が降ると水が膝上の高さまで溜まり、自転車や原付バイクは通行できなくなっていました。当時は部活動で疲れながらも面白がって通って帰っていました。高校生のころ、自転車で40~50分かけて通学していました。足腰が鍛えられ、持久力も付き、鹿と鉢合わせたり虫が顔に当たっても何とも思わない強いメンタルを獲得することができました。(ぎょうざさん 30代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 福高生だったころ、慌てて帰っていて、工業高校の男子の自転車と、出会い頭でぶつかったことがありました。衝撃で私が倒れ込むと、「大丈夫?」と心配そうに起こして、傷の手当てをしてくれました。「ありがとうございます」、「ごめんなさい」とだけ言葉を交わして別れたのですが、下校時間が同じだったみたいで、それから何度か顔を合わせるようになりました。「傷、どう?」「学校の勉強全然違うなー」などと、おしゃべりするのが定番になってきた時、「携帯、教えて」と聞かれました。でも、そのころ携帯電話を持っていなかったので、馬鹿正直に「ごめん、もってなくて」と言ってしまいました。彼は「そっか…」とつぶやくと、俯きながら去っていきました。その後、卒業したこともあり、会う機会がなくなってしまいました。今思えば、「何て空気が読めなかったんだろう」と自分が恥ずかしいです。通学路、と言われると、あのしょんぼりした後ろ姿が思い出されます。(ぼんこさん 30代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 雨の日の岸本ガードで膝まで浸かりながら帰った中学時代(ayuhanaさん 30代 福知山市出身)
     
  • 通学路といえば桜。当時、町がつくったイメージソングの歌詞にもなりましたけど、通っていた小学校前の手前の橋から坂道をぐるっと上がって正門に向かう道が「桜のトンネル」のようになっていて、桜吹雪も凄く綺麗でした。側溝には沢蟹とかもいて、花筏もみられました。今だからこそ、それらがとても価値ある大切な風景だと思います。(Asagiriさん 30代 福知山市出身)

40代

  • 中学高校と大江の学校に通ってました。ちょうど今の丹鉄が開通する頃で、毎日工事が進んで線路が伸びて行く様子を眺めながら通学してました。(いかさん 40代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 私がまだ小学校の頃は、車も少なく友達と遊びながら帰ってました。帰り道にはたくさん花が咲いたり、野草が生えていたりして花の蜜を吸ってみたり、野草を食べてみたり自然に触れながら下校してました。時には、イチジクの木の下を通らなくては行けないのですが、実がなって下に落ちている所を通るのがみんな臭くてイヤでイヤで…なぜか通学路の思い出はたくさんあります。(じゃびこさん 40代 福知山市在住)
     
  • 雪の積もった帰り道、雪の重みでしなった竹をひっぱっては雪を降らせてみんな雪だるまになったこと(ここねこさん 40代 福知山市出身)
     
  • 中地区で飼われていた蚕 (Cooさん 40代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 行き帰りの通学時、牧場があり、臭いが凄かった。熊、鹿の出没が激しかった通学路も平気で登校していた。(かずさん 40代 福知山市出身)
     
  • 買い食いや寄り道の思い出。内記5丁目、肉屋丸源の向かいにあった「フライの店 岡本」のコロッケ、肉団子は美味しかった。建物は今も残ってて、今見ると2階が大きな窓で凝った造り。ファミリーの駐車場内にあったプレハブみたいな簡易な建物でできた「スナック庄ベー」でフライドポテトとか買って食べてた。その横には「手打ちうどん さぬき」という全コシのないうどんやもあった。寄り道では、AVIXで中古CDを漁ったり。あと、福知山駅の北南を結んでた「岸本ガード」は通学路じゃなかったけど、「30センチばばあ」というオバケが出るって話は世代を超えて言い伝っていました。(40代 福知山市出身、福知山市在住)

50代

  • 興の茶工場がまだあった頃、下校途中にお茶の葉を蒸している香りがして癒されていました。 (ようこさん 50代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 小学校の通学路は片道4.2キロ、長い道のりがしんどかったですが高学年になると運動会では常に上位でした。(どらさん 50代 福知山市出身)
     
  • 惇明小学校の校庭あたり(南栄町)から駅南町(旧陵北町)方面へ抜ける地下道「岸本ガード」が思い出深いですね。今は線路が高架化されていて、駅北側から駅南側へ行くルートはいくつもありますが、昔は本当に限られていました。線路を挟んですぐ向こうなのに、かなり迂回しなければならなかったり、本当に面倒くさかったものです。そんな中、岸本ガードは便利な近道なのですが、「30センチのババアがいる」という都市伝説(?)があり、幼い頃は怖くて仕方がありませんでした。一応、照明があるもののほとんど役に立っていない状態で、昼間でももの凄く暗かったことが恐怖に拍車をかけていたように思います。50代も半ばを過ぎた今、あの岸本ガードを自転車に乗って1人で通れといわれたら・・・恐らくお断りすることでしょう。(グルメ番長さん 50代 福知山市出身、福知山市在)
     
  • 同校と他校の友達と 放課後駅で待ち合わせしていました。(starshaさん 50代 福知山の高校に通っていた)
     
  • 大正小学校の通学路に交番があり、何回か寄り警察の方とお話しさせてもらっていました。その方は手品ができたので見せてもらうのが嬉しかった。のちにその方は若くして亡くなられたと聞きました。交番はバス通りの成美に向かう踏み切りの手前にありました。(とんちさん 50代 福知山市出身)
     
  • 今年から大学生になった娘が遷喬小学校2年生の夏休み。1年生の子と二人で朝の学習会に向かう途中、人家の途切れたところで猿と鉢合わせしたそうです。一瞬固まったあと「絶対目合わせたらアカンで!」と言いながら一度も後ろを振り返ることなく、なんとか学校までたどり着いたとのこと。大人の私でも怖いのに、その恐怖たるや如何程だったかと思います。(鮒寿司さん 50代 福知山市在住)
     
  • 私は小1の頃、1キロちょっとの通学路を庵峨小まで通っていました。入学当時私は足が弱く、たった1キロでも到着するまで何度も転び泣きながら登校しましたが、次第に慣れて、集団登校するみんなと、元気に転ばずに登校できるようになりました。今、長い距離を歩くのがあまり苦にならないのは、我慢して登校を続けたおかげです。(Ryuさん 50代 福知山市出身)

60代

  • 南陵中学校下の稲荷踏切(noriさん 60代 福知山市出身)
     
  • 雀部小学校から土師の家に帰る時、ほとんど毎日いじめにあって、通常の通学路とは違う路を走って逃げ帰った思い出があります。車社会になって、徒歩生活の人にとっては住みにくい環境になりましたね。(ツキさん 60代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 家から小学校まで2キロほどの道のりでした。校区の中では遠い方で同じ地区の小学生が公会堂に集まって並んで通学していました。霧の多いところで、うちから向こうに見えるはずの高台にある学校が見えないことがよくありました。 田んぼと桑畑のくねくね曲がった道を道草しながら通いました。帰り道は途中で花を摘んだり、川で遊んだり、桑の実をたべたり。今頃だと数珠玉をとって首飾りを作ったり。通学路は宝物を見つける道でもあり遊びの中にありました。近所の人が田んぼで働いていて、「おかえり」と声かけてくれたり、車乗っていきな、とのせてくれたり。でもゴンベ(いたずらっこ)もいて、泣かされて帰ったりもしました。 そんな通学路も、いつの間にか真っ直ぐな道になり、桑畑は一つ残らず消えて、遊んだ河原は無くなりました。記憶の中の風景、近くて遠い風景です。(atsukitoさん 60代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 47年ほど前、淑徳高校へ通っていました。現在の正明寺ではなくその頃の校舎は羽合のしまむらのところにありました。通学路は福知山駅から北側、線路に沿って西に……。今のように高架になっていなかったため、低くて暗くて雨が降るとビショビショの線路下を通っていました。 (しるくさん 60代 福知山市出身)

70代以上

  • 成和中学校までは8キロメートルほどでした。スクールバスがありましたが、私は自転車でした。雨の日はくぼみの水溜まりが多く、はね水が大変でした。晴れの日は砂ほこりで学生服が真っ白でした。雪の日はくぼみの真ん中を通らないと滑ります。行きは下り坂が多く楽でしたが帰りは倍時間がかかりました。一番苦労したのは雪道です。高校へは1年生の時は自転車でした。約13キロメートルほどでしたので二年生からは125ccのバイクで通学しました。お世話になった国道429も今は拡張舗装され当時の面影はありませんが、私にとっては青春の思い出ルート429です。(ゴボウ、ノーチンさん 70代 福知山市在住)
     
  • 通学路という文字を見て真っ先に浮かんだのは、木漏れ日の日食だ。その日私は、学校で午後から日食の観測会があると聞き、当時住んでいた内記町の自宅から桃映中学校への通学路を急いでいた。当時その通学路は福知山線の線路沿いにあった。走っていた私の目に飛び込んできたのは、線路側の生け垣の木の葉から漏れてくる日の光だ。何とその光は三日月のような形をしているではないか。不思議だなと思いつつも学校に着くと観測会はもう既に始まっていた。どんな風に観測会に参加したのかはよく覚えてはいないが、通学路で見た木の葉から漏れてくる三日月の形をした日の光は強烈な印象として残っている。自分が中学生だったこと土曜日だったことを手がかりに調べてみると、それは1958年(昭和33年)4月19日の日食のことだった。日食も木の葉漏れになると三日月の形になることがあると後で知った。私は現在78才。63年前の通学路にまつわる思い出です。(しんちゃんさん 70代 福知山市出身)

 

昔と今を比べて、福知山が変化していると感じたエピソードを教えてください!

10代~20代

  • インスタグラムで「福知山カフェ」と検索すると、オシャレなカフェがたくさん掲載されていて、以前よりも若者むけのお店が増えたように感じました。(まるさん 20代 福知山市出身)
     
  • 私が福知山を離れて生活しているから、余計に恋しく感じるのもあるかもしれませんが、インスタやTwitterなどのSNSを通して、福知山についてのタイムリーな情報を得られるようになったことは、変化かと思います。(ちょこみんとさん 20代 福知山市出身)
     
  • 地域の温かさ(10代以下 福知山市出身)
     
  • まちづくりに力を入れていると思います。このような企画など、若い人とまちを作っていけるのは素敵なとこだと思います。(みのさん 20代 福知山市出身)
     
  • 自動改札機が導入された事が昔と比べて1番変化していると感じました。(ちはさん 20代 福知山市出身)

30代

  • 通学路の話だと、自分たちのころは朝はみんなで登校しても帰りはバラバラで、一斉下校が週末のイベントみたいなものでした。今は当たり前になってるのが時代だなと感じる。(きよさん 30代 福知山市出身)
     
  • お洒落なお店が増えました!それに尽きる!なので今の福知山の学生は羨ましいです!私達のころはガストとアビックス(ツタヤ)が遊ぶ場所でした。限られているからこそそこに行くと必ず誰か知り合いに出会えるのでそれはそれで楽しかったのですが、あの頃憧れていたスターバックスができたのは、嬉しいというより、今の学生が羨ましいですね!福知山でお洒落な時間を過ごせるので(笑)。(ハタハタ坊さん 30代 福知山市出身)
     
  • 駅南の栄え方がすごい。特にスタバとドンキが来た時は「(周囲の自治体に対して)勝ったな」と思った。(でんさん 30代 福知山市出身)
     
  • 駅北が栄えていた頃とは真逆で駅南にどんどん店舗が増え駅北は少し淋しいなーと感じます。(ゆきさん 30代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 今スターバックスがあるところにはゲームセンターがあり、学生の頃よく遊びに行きました。プリクラが流行っていて友達とよく撮りました!ゆらのガーデンのところ通るたびに市民プールを思い出します!(minamiさん 30代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 久しぶりに帰ればおしゃんなお店増えてる! でも懐かしいとこ沢山で泣きそうになる!笑 何やかんやで大好きです!!(ちゃお。さん 30代 福知山市出身)
     
  • 都会にあるお店がいっぱいできた(ニトリ、スタバ、ドンキ等)。(N.さん 30代 福知山市出身)
     
  • JRが高架線になり、埋め立てられてしまいましたが、当時JRさんに迷惑をかけた南陵っ子も居るはずです!(ayuhanaさん 30代 福知山市出身)
     
  • コロナ禍から仕事の関係もあってなかなか帰省もできず、今の姿は写真等で見る限りですが、駅前も整備が進んだり、スイーツのお店も増えたりで、頑張っているなと思います。一方、実家のそば(もともと山ですが)は緑が増えたな…と感じます。人が少なくて、手入れが進んでいないからでしょう。かくいう私も離れていますし…。そういえば数年前、実家に帰って夜8時ごろかな…に玄関を開けたら玄関前を猪と瓜坊が駆け抜けて行きました。さすがに子供の頃はそんなことなかった!(笑)(Asagiriさん 30代 福知山市出身)
     
  • Youtubeに福知山市街地からかしの木台方面へ国道9号線を車で走らせている古い映像があります。大型商業施設や家電量販店が立つ前の山などが記録されています。それらを見ると変わったところと今と全く変わっていないところがよく分かります。(ぎょうざさん 30代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 線路が上に上がって、駅南に行きやすくなったと思います!!(南陵OBさん 30代 福知山市出身)
     
  • 焼肉、ラーメンのお店、ドラッグストアが増えたこと。(ぼんこさん 30代 福知山市出身、福知山市在住)

40代

  • 昔は遊び回るのが仕事で何とも思ってなかったですが、今はオシャレなカフェやお店が増えたなぁ。(ここねこさん 40代 福知山市出身)
     
  • 今は、車が多く子供は一列で通学路を通っています。住宅も多く、自然が少なく、いちじくって見たことがないと子供たちは言います。昔自分が通学路で見た花や野草は、最近見ることが少ないです。今の子供たちは、通学路の思い出ってあるのでしょうか。(じゃびこさん 40代 福知山市在住)
     
  • 由良川沿いに”桑”が栽培されていました。水に強いので、水害が多い福知山の土壌に合っていたのかも。桑を食べる蚕も育てられていて、繭になった姿を下校途中によく見せてもらいました。今でも絹製品を見ると思い出します。(Cooさん 40代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 通学路が綺麗なった。(かずさん 40代 福知山市出身)
     
  • ユニクロ、スタバなど若者が集う全国チェーンの店は増えて賑やかになった反面、味のある個人店は減少して寂しい。(40代 福知山市出身、福知山市在住)

50代

  • 昔は普通の道路だと思っていた道を久しぶりに通ってみようと思ったら、めちゃくちゃ細い道に感じて通り過ぎてしまいました。(ようこさん 50代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 道路もすごく整備されているが昔より不審者情報や動物の危険がある。(どらさん 50代 福知山市出身)
     
  • 駅北側から駅南側へ簡単に行けるルートが増えたことは、惇明小学校の近くで育った者としては大きな変化と感じます。(グルメ番長さん 50代 福知山市出身、福知山市在)
     
  • 駅が綺麗になったことはもとより 二つの出口があるのが便利ですね。昔は 片側しかなくて 大回りしていました。(starshaさん 50代 福知山の高校に通っていた)
     
  • バスの本数が減りとても不便になりました。また、車に皆が乗るので町中を歩く人も少なくさみしいです。(とんちさん 50代 福知山市出身)
     
  • 駅前が寂しくなり、道路沿いが賑やかになった。人通りが少なくなった。(Ryuさん 50 福知山市出身)
     
  • 小学校に入学するとクマよけの大きな鈴をランドセルに付けるようにと配布されていましたが、いつの頃からか付けている子どもたちを見かけなくなりました。猿が出たあたりにも新しい家が立ち並び、道路も変わって、福知山にもスタバなど都会の象徴のようなお店もたくさんできています。昔ほど絶対都会に出ないといけないという必要性が薄れてきました。今の中・高生たちは、私達の頃より都会への憧れが減り福知山への地元愛が強くなっているように思います。(鮒寿司さん 50代 福知山市在住)

60代

  • 福知山駅前(noriさん 60代 福知山市出身)
     
  • 車社会になって、徒歩生活の人にとっては住みにくい環境になりましたね。其れにしても、ゴミのポイ捨てが余りにも多く、ルール以前の人としてのマナーが著しく低下していることを悲しく思います。(ツキさん 60代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • いつの間に、「海の京都」「山の京都」と京都のブランド名をつけるようになったんでしょう。 ここは、いわいる「京都」文化圏とは異なる土地で、この場所特有の素晴らしさがあると思うのですが、経済のイメージ戦略にやられる地方文化がそこにあるように思います。 いつの間に方言を話す人が減ってきたんでしょう。自分の言葉に誇りを持ちたいものです。(atsukitoさん 60代 福知山市出身、福知山市在住)
     
  • 寂れていくだけではなく、若いご夫婦も多く子供さんの出生率も高いと聞き未来も明るいと思います。(しるくさん 60代 福知山市出身)

70代~

  • 昔は出店はないとおもっていた大手の店、最初はミスタードーナツ、マクドナルド、ジャスコ、青山等続々出来てきました。(ゴボウ、ノーチンさん 70代 福知山市在住)
     
  • 新町商店街の衰退と大型商業施設の繁栄、4年生大学の4年制大学の創設(しんちゃんさん 70代 福知山市出身)

 

広報ふくちやま×ふくちゼミ これまでの取り組み(募集は終了しています)

通学路の思い出エピソードを募集

通学路の写真を募集

 

ふくちゼミとは

ふくちゼミは、本市内在住または在学中の高校生に向けて、福知山で活躍する大人と出会い、地域愛を醸成するとともに、主体的に行動できる人材を育成することを目的に、今年5月にスタート。今年度が初の取り組みです。

ふくちゼミについてはこちら

各ゼミの様子をレポートとして福知山市公式ウェブサイトで公開しています。その他の広報誌以外のプロジェクトも、随時詳細をお知らせします。

ふくちゼミの活動レポートはこちら

ゼミは現在、ビデオ通話アプリ「Zoom(ズーム)」などを活用し、オンラインで実施しています。本来であれば現地取材などを実施予定でしたが、コロナ禍でそれも叶わない状況のため、まずはオンラインでエピソードを募ることになりました。


福知山市公式動画

「明智光秀マインド~ 語り:クリス・ペプラーさん」
【明智光秀が築いた城下町 京都 福知山】

福知山市公式動画

福知山市初のプロモーション動画『鬼のいざない』を公開中!
福知山を訪れた女性が鬼にいざなわれ、出会う“いがい”なものとは…?

みなさんの声を聞かせてください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?