毛原峠 袈裟切地蔵

 昔、剣豪として名高い岩見重太郎が父の仇として広瀬軍蔵ら3人を追うて、丹後の宮津へ来、寛永九年九月二十日(1652)天橋立において3人を討ちたおし、本望をとげたと伝えられています。その帰路、ここ毛原峠の地蔵堂の大杉の下で休んでいると、先回りして待ち伏せていた軍蔵の子、軍左衛門らに切りつけられる。重太郎も防戦し難を逃れたが、そのとき重太郎の刀の切っ先が触れ地蔵さんは3つに切れた。以来この地蔵を「袈裟切り地蔵」と呼ぶようになりました。

参考文献 『平成11年 広報おおえ 6月号』大江町総務企画課1999
 
 
        毛原峠に佇む袈裟切地蔵