茶屋跡
幅20メートル、奥行き15メートルほどの石垣を積んだ屋敷跡。かたわらにきれいな小川が流れるこのあたりを地元では「一杯水」と呼んでいます。 元禄2年(1689年)に貝原益軒が天橋立を遊覧した際に記録したとされる「天橋記」には「山間に三所茶屋あり、京極安智(高弘)旅客のために置所也」とあり、ここが高弘の設置した場所でないかといわれています。 今でも付近には、手水鉢、石灯篭、石仏などが残されています。 参考文献 『平成13年 広報みやづ 3月号』宮津市総務課2001 『宮津エコツアーガイドブック』宮津市エコツーリズム推進協議会2010 |
平坦地の残る茶屋跡 |