千歳嶺碑

 天保2年(1831年)に設置されたもので、道幅を広くし歩きやすく改修された普甲峠を大変喜んだ領民が、京都上賀茂神社の神官で古典学者の賀茂李鷹に依頼し、詠んでもらった歌を刻み込んだものです。

 歌は、

 「道ひろき 君がめぐみに諸人の ゆきかひやすき 此千とせ山」

と詠まれ、歩きやすくなった道に改修した「君」(藩主)をたたえたものとなっています。

 この「千歳嶺」の呼び方については、もともと「普甲嶺」と呼ばれていたものを、江戸時代の初め宮津街道を新開した宮津藩主京極高弘が音が「不幸」「不孝」に通じるとして改めたと伝えられます。
 地元の人は「せんざいれい」と読みます。

 「上宮津村史」によると、昭和14年にこの碑の前で峠道改修工事(ほぼ現在の府道路線にあたります。)の竣工式を行ったとの記録があります。 


参考文献 『平成13年 広報みやづ 3月号』宮津市総務課2001